弘法大師ご誕生1250年 青葉まつり

 皆様にもご承知いただいているかと存じますが、本年は真言宗宗祖弘法大師様のご誕生1250年でございます。誕生月であるこの6月には、総本山善通寺様をはじめ各山にて記念法会が行われてまいりましたが、当方岡山におきましてもその記念行事を奉修させていただきました。

 先ず宗祖誕生を慶祝する法会「青葉まつり」の前段として、6月11日に東京大学名誉教授の養老孟司先生をお招きし記念講演会を開催。養老先生は、私個人的にも多くの著書を拝読させていただいており、長年にわたって尊敬申し上げる御方でして、そのお話のすべてに仏教が通底していることから、この度の記念事業にぜひ岡山でご講演を賜りたいとご無理をお願いしておりました。

 満席の会場で、ここに晴れて実現したことを心から嬉しく思っています。ご来場いただきました皆様にはありがとうございました。

 そして6月15日、瓶井山安住院の本堂を道場に「青葉まつり」を奉修。宗祖誕生1250年ということで、ぜひ多くの方にお大師様とのご縁を深く感じていただきたいとの想いから、今年は「受戒会」という特別な形での法会を行いました。一座だけでは足りないだろうということで、午前と午後の二座に分けて行い、それぞれ満席のご参拝をいただきました。ありがとうございました。

 これらの主催は「岡山市弘法大師降誕会」によるものでして、旧岡山市内の真言宗寺院(現在15ヶ寺)が結衆して運営しております(事務局当山)。実に大正8年よりこの「青葉まつり」を継続しているのですが、そもそもこの「青葉まつり」という名称自体も岡山市弘法大師降誕会に始まるものでして、その歴史に恥じぬよう力を込めて今回の事業を実施させていただいた次第でございます。

 多くの方に様々な形でご支援を賜りましたこと、ここに深く感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。来年よりもぜひ多くの方にご参拝いただきたく、その旨併せてなにとぞよろしくお願い申し上げます。

佐々井秀嶺師 御来山

インド仏教界最高指導者と呼ばれる佐々井秀嶺師(87歳 ※写真中央)が6月10日、当山へご参拝されました。

佐々井師は、岡山県新見市出身。長じて東京の高尾山薬王院にて得度、ご出家された後、タイ国へ仏教留学。昭和42年(1967)にインドへと渡られますが、ある日の夜に大乗仏教の祖である龍樹菩薩より「汝速やかに南天竜宮城へ行け」という夢告を受けます。以降、その「南天竜宮城」の場所であると言われるインド中央部ナグプール市を拠点に、インド初代法務大臣で仏教徒であったB.R.アンベードカル氏の遺教を継承して、インド民衆のために半世紀にわたって身を捧げられてきました。特にヒンドゥーカーストによって触れることも見ることも汚らわしいと差別される人々を仏教へと改宗し、カーストから解放させようとする師の活動は、現在1憶とも2憶とも言われる仏教徒を新たに誕生させており、まさに偉業と言うべきところです。

佐々井師は、長年にわたって師への支援を行ってきた当山とのご縁から、44年ぶりに帰国を果たされた平成21年(2009)長泉寺開山500周年記念大法会をきっかけに来日時には必ずお立ちより下さるようになっておりましたが、コロナの影響で今回は4年ぶりの来日、併せて当山ヘのご参拝となりました。

当日は、ナグプール市で石刻された「必生不動明王」の御尊前で護摩供養法会を行った後、佐々井師の支援者や相談者らが日本全国から訪れ、それぞれが本堂にて師にご面会をされました。師はお一人お一人のお話に耳を傾け、特にはともに涙を流しながら、我々人間の進むべき道を説かれました。

佐々井師に対する支援活動は、平成26年(2014)に発足した南天会が中心となって行っております。皆様にもぜひご関心をいただければ幸いです。

南天会トップページ – 南天会|佐々井秀嶺上人の活動を支援するネットワーク (nantenkai.org)

万灯万華供養 本尊大祭

本尊薬師如来の厨子を開け、檀信徒精霊に万灯万華供養の施しを捧げる「本尊大祭」を、5月5日夜より8日にかけて開催いたしました。

初夜(そや)、後夜(ごや)、日中(にっちゅう)と一日三座の理趣三昧法会を三日間にわたって奉修し、結願の8日には真言宗岡山市内結衆寺院15ヶ寺にご参集いただき、中曲理趣三昧法会の法楽を捧げていただきました。さらには、瓶井山安住院(中区国富)副住職の生駒善勝僧正に法話をいただき、ご参拝の皆様に喜んでいただきました。

開催にあたりましては、総代、世話人様には準備片付けと大変お世話になりました。ご参拝いただきました方々を含め、皆様に心より御礼申し上げる次第です。

聖観音立像修繕開眼法会

4月21日、大師縁日法会、樂陽廟春秋祭に併せてまして、昨年秋に台風で倒壊した聖観音立像の修繕開眼法会を行いました。

当観音像は、元々は南方福原家の庭園に祀られていた尊像ですが、昭和60年にご当家よりご寄進をいただき、以来「水掛け観音」と呼ばれ当山参拝者皆さまに親しまれてきました。昨年の台風により倒壊した後、檀信徒皆様に修繕のご寄付を募らせていただきましたところ、福原家を含む21名の御方よりご寄付を賜り、ここに見事に美しく修繕が施されました。

ご協力いただきました皆様には、心より厚く感謝を申し上げる次第です。

「トルコ・シリア地震」被災者救援募金について

 今月6日未明にトルコ南部のシリア国境近くで発生したマグニチュード7.8の地震により広範囲にわたって多数の建物が倒壊し、トルコ・シリア両国で今日現在までで4万1000人以上の方が死去され、220万人を超える方々が避難生活を余儀なくされています。岡山の国際医療NGO「AMDA」はさっそく同国被災地へ医師団を派遣し、現地時間の14日にトルコ国の被災地カフラマンマラシュ (Kahramanmaraş) 県に入ったとのことです。

https://amda.or.jp/articlelist/?work_id=7384

 長泉寺ボランティア基金会でも寺務所前に募金箱を設置し、同地震による被災者救援のための募金を開始しました。集まった浄財は、RNN人道援助宗教NGOネットワークを通じて、AMDAの活動に寄託されます。どうぞ多くの方よりのご協力をよろしくお願いいたします。

◆「長泉寺ボランティア基金会」寄付金の受付
ゆうちょ銀行 総合口座 15460 30539111
郵便局以外の金融機関から振込む場合は
【店名】五四八 【店番】548 【預金種目】普通預金 【口座番号】3053911

 

涅槃会

2月15日、涅槃会を玉佛堂にて奉修しました。

涅槃図、並びに十六羅漢図を堂内に掲げ、四座(涅槃講、羅漢講、遺跡講、舎利講)それぞれの和讃を奉唱。釈尊の遺徳を称えました。

令和5年節分星まつり

2月3日節分にあたり、3年ぶりに一般参拝をいただいた上で「節分 星まつり」を奉修しました。

コロナ禍により昨年、一昨年は、僧侶および総代の少人数で、しめやかに「星供養法会」を行うのみでしたが、今年は春の訪れを告げる釜鳴護摩の音や迫力ある法楽太鼓が響く本堂にて『般若心経』、並びに星供本尊の御真言を大勢の皆様(約80名)と一緒にお唱えすることができました。さらには、備前太鼓唄弘西普及会の皆様による「獅子舞」の奉納、節分厄払い豆まきと、立春らしい賑やかな夜となりました。

また、厄除け祈願のためにいただいた多くの御供(お菓子、ジュースなど)をお土産として皆様にお持ち帰りいただき、ご参拝いただいた子供たちをはじめ皆様に喜んでいただけました。

当祭を奉修するにあたり、お力添えをいただいたすべての皆様に心より感謝を申し上げます。

なお、事前にお申込みいただいた「厄除け祈願札」は、ご近所の方には近日中に持参させていただきます。ご遠方、郵送希望の方には2/6月曜日に発送させていただきます。また、可能な御方には寺務所まで取りにお越しいただければ助かります。

令和5年 本尊薬師 初縁日「大般若法会」

1月8日、毎年恒例の「大般若法会」を奉修いたしました。

有縁のご寺院にご参集いただき『大般若波羅蜜多経』を転読する当法会は、檀信徒皆様の一年の無事安寧を祈願するため、当山本尊薬師如来の新年最初のご縁日に毎年奉修しております。今年は併せて、ウクライナ・ロシアの有事が早期に収束してほしいという世界平和の願いとともに、コロナ禍の収束祈願を含めて、本尊薬師如来、および大般若経の本尊である般若十六善神の宝前に法会を開莚させていただいた次第です。

法会後には、二胡奏者として岡山で長年活躍をされている田川(デンセン)様に奉納ミニコンサートをいただき、新春を寿ぐ時間を持つこともできました。

関係者皆様には厚く御礼申し上げます。

令和5年 新年のご挨拶

 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 令和5年が始まりました。令和もはや5年目!ということに驚いてしまいますが、あっという間に過ぎてしまう時間の中で、あらためて今をしっかりと生きていこうと心致す次第でございます。

 さて昨年は、コロナ禍においても玉佛堂の落慶、樂陽廟のリフォーム、境内トイレのバリアフリー化など、境内ハード面の整備が進み、同時に恒例法会および教化活動、文化活動、社会福祉活動、さらには長男龍山房、次男龍城房の得度式、護身法伝授の開莚といったお寺のソフト面も充実した一年でありました。檀信徒皆様には、あらためて当山へのご理解とご協力に感謝を申し上げます。

 今年は、干支が「癸卯」ということで、お寺だけでなく檀信徒皆様がうさぎのようにピョ~ンと跳躍する一年となってほしいと願うところでございますが、そのためには先ず一つに「平和」、二つに「コロナ禍の収束」、三つに「自然との調和」というキーワードをあげたいと思います。

 以下、当ブログにしては珍しく長文ですが、お時間ある方にはお付き合いください。

 まず「平和」についてですが、現在進行形のウクライナとロシアの有事、これがなんとか改善してほしいですし、同時に我が国を含む東アジアに漂う不穏な空気が、どうか暴走しないようにと願うことひたすらであります。戦争というのは、それがたとえ一部の地域に限ったものに見えたとしても、それによって世界は不安定になり、様々に負の余波を広げてしまいます。世界が平和であればこそ、私たちの日常はつつがないものとなりえます。

 ところで「平和」ということを思うとき、私はいつも「成仏」を思い起こします。「成仏」というのはまさに全仏教徒の目標といっても良いわけですが、その手段は?というと真言宗では身口意(しんくい)の三密行(さんみつぎょう)ということになります。つまりは「言葉」、「行動」、「心(想い)」のそれぞれを仏の如くにすること。もし自らの言葉、行動、そして心(想い)の三つを仏の如くにすることができれば、それはもうほぼ仏と同体であり、真言宗的には「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」ということであります。そしてここで重要なのが、成仏という目標とそれを達成するための手段は同じであるということです(成仏はゴールであるとともにスタートなのです)。

 「平和」という目標も実に同様で、平和を達成するためには平和を実践するほかに方法はありません。即ち政治、外交、経済など、官民を問わず様々な努力の積み重ねが必要であり、そしてそれらを忍耐強く、平和的に進めていくことです。もちろん現状では軍事力も重要な要素でありますが、少なくとも「平和のための戦争」などという戯論(けろん)には惑わされないようにしないといけません。

 二つ目は「コロナ禍の収束」です。これもまさに人類共通の願いでありましょう。「withコロナ」と言われて久しいですが、「収束」といってもコロナウイルス自体が終息することはもはや無いわけでして、いかにコロナと付き合っていくのか?どのタイミングでどの程度を元の状態に戻していくか?ということを見極めていくことが重要なのだろうと思います。

 若くて元気な方の間ではすでに「インフルエンザ並み」ととらえている人も多くなっているようですが、高齢者や疾患のある人にとっては未だ脅威であることに変わりはありません。実際に当山檀徒の方にもコロナによって亡くなられた方がおられますし、いわば、「大丈夫な人にとっては大丈夫。危険な人にとっては危険。」というのが現状なのだろうと思います。

 まだしばらくは安易な判断はできない状況が続きますが、それでも着実に少しずつ前には進んでいて、あともうちょっとで出口に到達できるのではないかという期待感も膨らんでいます。どうか今年のどこかで、皆さんのマスクが要らなくなり、人が人に普通に会える、大勢が一緒に楽しめる、そんな笑顔あふれる社会が戻ってきてほしいと願っております。

 三つ目は「自然との調和」です。これはもちろん第一に地球環境を守るということでもありますが、仏教者としては私たちの意識面においても自然への回帰みたいなものが必要だと考えています。

 そもそも自然というのは、我々人間の手には負えないものであり、私たちの思い通りにはなってくれないものであります。だからこそ八百万の神を祀る我が国では、古来より常に畏怖の念をもって自然に接してきました。ところが現代を生きる我々は、自然をも人間がコントロールできると心のどこかで勘違いしているかのように思えます。

 考えてみますと、我々が住んでいる街はコンクリート製のビルにアスファルト製の道路。とにかく人間が管理しやすいように街全体が人工物で覆われ、管理の行き届かない自然はなるべく排除しようという力学が働いています。そうしておけば、便利だし安全であると。人工物というのは人間の意識が作り出したものですから、そのような人工的な環境下で日常生活を送っていれば、なんでも意識によって解決できると感じてしまうのも当然のことなのかもしれません。

 しかしながら、言うまでもなく我々人間自体が自然の産物であり、まさに自然そのもののはずです。心臓を動かすのも呼吸をするのもおなかがすくのも、別に意識的にやっているわけではありませんし、そもそもこの世に生まれて来たこと自体、自分の意志ではありません。「生きる」というのは本来そういうことであって、私たちの意識の産物ではないのです。

 自然に触れていればそれがよくわかります。私は坊主ですので境内を綺麗にしようと草を取ったり木を剪定したりするわけですが、いくら頑張ってもまた草は生え、木は枝を伸ばします。全くこっちの思い通りにはなってくれないのが自然であって、また自然はそれを意識的にやっているわけでもありません。草を取る、木を剪定するというのは、我々人間の意識が一方的にその方が美しいと評価しているだけのことであって、自然の側からするとただあるがままにあるのみで、何ら問題もないわけです。自然には評価という概念自体がないのですから当たり前と言えば当たり前なわけですが、ここで気づくべきことは、我々人間だって本来はそういうものだということです。

 しかし我々には意識があります。意識は良くも悪くも生きることに対して意味や価値を問い、優劣や善悪といった評価を与えます。もちろん意識が様々に評価を与えるからこそ、危険を察知したり、安全を確保したりすることが可能となるわけで、評価すること自体は生きていく上で必要不可欠なものです。特に社会生活をする上では、勉強も仕事も評価しないというわけにはいかないですし、評価があるからこそ頑張ろうというモチベーションにつながったり、人間社会の秩序が保たれたりもします。

 ただここで申し上げたいのは、自然に評価という概念がないように、我々人間も評価のしすぎには注意した方が良いのではないかということです。そして、現代はまさに評価過剰でありましょう。テレビやインターネットではありとあらゆる事柄に対して様々な批評がなされ、その批評に対しても我々一般視聴者がさらに批評を上乗せするという状況です。「炎上」という言葉も定着しましたが、まるで日本国民全体が評論家のような状態で、批判の応酬合戦が繰り広げられています。私にはそれがちょっと異様に思えてならないのですが、皆さんはどのように感じていますでしょうか。

 また、飲食店、学校、病院、さらには神社やお寺までもが、インターネット上に星の数がいくつ付いているかという形で評価され、SNSでは個人のプライベートなことにまで「いいね!」という評価の数が付せられています。それら自体に善悪があるというわけではないですが、やはりちょっと評価のやりすぎであるように感じます。少なくとも評価という概念がない自然からすると、あまりに乖離した状態、すなわち自然ではない=不自然であると言うしかありません。

 不自然な状態というのは、本来は自然そのものである人間にとっても良くないのだろうと思います。現代がかかえる自己肯定感の低下、ひきこもり、鬱などのメンタル面の問題、さらには長引く不況、過疎、少子化などの問題も、根本的な原因はそこにあるのではないかとさえ個人的には感じています。皆さんにもどうか気を付けて下さい。評価は必要最低限のことに対してのみあれば良いはずで、あとはなるべく自然体でいきましょう。

 そしてそのためには、人工的(意識的)な環境ばかりを生きるのではなく、自然を体感することが大切です。風に吹かれる。日光を浴びる。泥だらけになれとまでは言いませんが、たまには土を触ったり、砂埃にまみれたり、雨にぬれたりも良いでしょう。そしてそれを良いとか悪いとか評価するのではなく、自然とはそういうものだと受け入れることです。突拍子もないようなことかと思われるかもしれませんが、私は結構まじめにそう思っています。まぁ、その意味ではちょうど良いのがお寺の境内なのかもしれません。ほどよく自然と人工が交じり合っていて、心が意識的な日常から離れ、多少なりとも「ありのままに」を体感することができます。

 以上が今年のキーワードの三つ目にあげた「自然との調和」の理由です。不自然な状態が過剰に続くと、やはり予期せぬ不具合が起こってしまうのが世の常であります。密教的にいうと、智(意識)を扱う金剛界曼荼羅と、理(自然)を扱う胎蔵曼荼羅の両部がバランスよく保たれるよう精進しましょうということになろうかと存じます。

 最後に、本年は宗祖弘法大師ご誕生1250年という記念の年となります。誕生月の6月には全国各地の真言宗寺院で様々な祝事が計画されていますが、ここ岡山でも同じく準備を進めております。また追ってお知らせいたしますが、どうか多くの皆様と大師ご誕生を寿ぐ時間を過ごせたらと願っております。どうぞよろしくお願いいたします。

聖観音立像の修繕について

 ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、「水かけ観音」と呼ばれ親しまれていました当山境内長寿泉に立つ聖観音像が、本年9月台風14号の被害に遭い、倒壊してしまいました。 

 総代会で急遽その対応を協議しましたところ、損傷が激しく、修繕を避けることができない、また、檀信徒の拠りどころである仏像という観点から、皆様に任意のご寄付をお願いし、その修繕費を工面させていただこうという決議に至りました。

 檀信徒の方々をはじめ、当山に心寄せて下さる皆様にはどうかその旨ご理解いただ き、可能な御方にはどうかご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。なお、寄付者のご芳名は同像の台座銅板に刻銘させていただきますので、その旨併せてお知り置き下さいませ。

聖観音立像 修繕寄付 一口五万円也

寄付締め切り 令和五年一月末日

聖観音立像 倒壊前