仁和寺観音堂修復にあたり、開山法皇に想いを寄せる。

 我ら真言宗御室派の総本山仁和寺では、今年度より重要文化財である観音堂の修復工事が行われています。この観音堂は、私が僧侶となるための修行を終え、門跡猊下より伝法灌頂の印信をお授けいただいた思い入れのある御堂です。当山ではさっそく、特別義納金595,000円を奉納させて頂きました。皆さまにはどうかご理解をいただきたく、よろしくお願いします。

  仁和寺(にんなじ)は、第59代宇多天皇が仁和4年(888年)に御尊父、第58代光孝天皇の発願を継承、開創されたお寺です。以降、明治に到るまで、皇族の御方が門跡を歴任されたことから「旧御室(おむろ)御所」と呼ばれています。

 

 宇多天皇は、光孝天皇の第三子でありますが、仁和3年(887年)に先帝崩御の後を受けて即位。幼少のころから出家の御志をお持ちで、昌泰2年(899年)に東山椿峰円城寺・益信僧正について御出家、法皇となられました。この時の御年齢が今の私と同じほどであることには驚きます。

 「朕、誠に愚と雖も而も法にあらざれば行はず、道にあらざれば言はず、たとえ罪を犯すとも而も大過に及ばず、而して咎害(きゅうがい)あれば国内の神祇に憑(たの)み奉て今に怠るなし。況んや元来三宝に帰依し旦夕に敬拝せざるなし。而して災害頻(しき)りに発し、死微あるべければ、唯天神地祇並びに三宝の冥助を願い身命を保たしめむ。(宇多天皇御事略)」

 と言葉を残されていますが、国の安泰(今日でいう世界の安泰)、人々の安寧を心から願う法皇の御心がここに拝察できます。

 「仁和(にんな)」とは、光孝天皇が定めた元号ですが、宇多法皇もその意を尊重し、寺号にあてられたわけで、我々真言宗御室派の仏教者にとっては極めて重要な言葉です。

意味について、先ず、「仁」という字。これは、儒教でいう「仁・義・礼・智・信」という人間が仰ぐべき「五常」諸徳の一番目。「慈しみ」とか「情け」という意味ですが、ここでの意味はそれだけに留まらず、仏教をこよなく御信仰された光孝天皇の御志を考慮すれば、仏教本来の「仁」の意、つまり「ほとけ」という意味が多分に含まれていると考えられます(『一如(御室青年教師会機関誌)』より「仁和の教風(一)(二)(三)」昭和51年・小田慈舟師の考察を参考)。「和」とは「調和する」、「和合する」という意味に疑いないわけで、つまり「仁和」とは、争いや災害の絶えないこの国および世界中の人々に、「仏の如く大調和に生きよ!」という二大尊師の大願でありましょう。

 今日の我が国は、経済発展により豊かになったとは表面だけのことで、「分断」に次ぐ「分断」により人心は荒れ、悲しみの多い社会となっています。権力者は自分達の目先の利益のために搾取と切り捨てを続け、政治家は「国際貢献のため」と平和憲法を変えては、「経済成長と環境のため」と核を拡散するという欺瞞を働こうとしています。日本の貧困率は世界第2位(相対的貧困率;所得が国民平均所得の半分以下の割合)で16%に達しています(OECDに基づく厚生労働省発表のデータ参照)。このままではさらに分断によるストレスが溜まり続けていきますが、最後に待っているのは「暴力」による社会のリセットしかありません。

このような時代であればこそ、真言宗御室派の仏教者は今一度、光孝天皇、宇多法皇はじめ歴代尊師の遺志を仰ぎ、「仁和なる社会」の実現の為、衆生救済、抜苦与楽の善行を修することが大事であろうかと、浅学非才ながら強く肝に銘じる次第であります。

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