2013年「おせがき行」

8月25日(日)、我々長泉寺一行(67名)は、各家過去精霊の菩提、並びに、ご先祖の倍増法楽を祈るとともに、三界六道有無両縁の万霊に回向をするために、愛媛県松山市「四国霊場第51番札所・石手寺」様を参拝し、同寺不動堂にて「せがき供養法要」を行いました。

雨のため、石手寺様不動堂内にて奉修。

石手寺御住職・加藤俊生師は、数年前に広島市「世界平和祈念大聖堂」にて行われた憲法九条を護る集会でご一緒させてもらって以来。再会できたこと、また、参加者の方々に法話をして頂いたこと、大変嬉しく思います。

加藤師は、「身・口・意」つまり、行動と言葉と祈り(心)が一体となっておられる数少ない僧侶のお一人で、個人的にはずいぶん前から尊敬していた方です。一体どこにそんな時間があるのか不思議になるくらい平和活動を実践されておられ、さらには2年前の「東日本大震災」における被災者の方々や、原発事故によって受難されている方々の支援も多く手がけられています。(詳しくは石手寺様ホームページにて⇒http://nehan.net/

この度お話下さったことは、仏陀となられる前のお釈迦様が、シャカ族の王子として、一族の生き残りをかけた戦いに出たときの言葉について。

「武器を手にし敵を討とうとした。しかし、剣を振り下ろそうとしたとき恐怖に襲われた。人を殺すことはできない。そしてそれまで当り前と思っていた世界は変容し、それとは異なる世界が見えてきた。私たち人間は、生存競争に苦しみ、敵対し苦しみあっている・・・。

そのときだった。私に見えない矢が突き刺さった。欲望という名の矢である。私たちは様々な世界に苦しみからの脱出を求めたが、実はその原因は私たちの存在そのものにあったのだ。この矢を抜く以外に苦しみからの脱出はない。」

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長泉寺では、毎年お盆が過ぎたころに、この「施餓鬼(せがき)法要」を近県の何処か(毎年どこに行くか悩んでいます・・・)にて行います。もちろん、各ご家庭における今は亡き方のご供養の為でもありますが、「施・餓鬼」ですから、餓鬼供養が主です。

餓鬼とは、輪廻を繰り返す「六道世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)」の下から二番目の世界に生きる者たち。「六道輪廻(ろくどうりんね)」というと、なんだか難しく聞こえますね。そこでわかりやすく解説。

地獄・・・生きていくのが辛い世界。もう死んだ方がマシだという世界。

餓鬼・・・飢え苦しみの世界。貧。飢餓。

畜生・・・人間ではない世界。人間として認めない世界。人権のない世界。差別の世界。

修羅・・・争いの世界。戦いの世界。けんか。略奪。戦争。

人間・・・生・老・病・死の苦しみ。渇愛、恨み、挫折、身体的・精神的障害などの苦しみが付きまとう世界。

天・・・なんでも欲しい物が手に入る世界。欲望が満たされる世界。

できれば天に生まれ変わりたい!と思いますが、仏教で言えば天もまた輪廻の世界。つまり迷いの世界です。

今、世界を見渡してみると、まさにこの「六道輪廻」そのものです。

多くの自死者。経済格差による貧困。種々の差別(人種・性・民族など)。戦争。執着。欲望。

こういう世界は、「負の連鎖」を繰り返します。

例えば、アメリカが過去に行ってきた搾取と略奪。それに怒りを禁じ得なかったイスラム諸国の貧困層。そして、9.11同時多発テロという「怒りの爆発」が発生(決して「9.11」を肯定しているわけではありません)。世界一の武装国家であるアメリカが本土攻撃されたわけですから、国家武力を高めれば平和になるということのウソがわかったわけです。さらに、それへの報復としてのイラク戦争に突入していきます。これ以上の連鎖は続いて欲しくないと願いますが、止めることはそう簡単ではありません。最近ではシリアへ軍事介入するなどというニュースがありましたね。残念でなりません。

アメリカでは、国家資本90%を1%の人々が持っていると言われています。お金持ちになることが悪いわけではありませんが、その1%の人々がいる半面、世界の約8分の1の方は餓死寸前の状況。その「怒り」はこれからどこへ向かうでしょう・・・。

負の連鎖。

これを「輪廻」と呼ぶのです。

 

さて、大事なことは、わたしたち自身が六道の中のどの世界にいるかを自覚し、この六道からの解脱を目指すこと。輪廻する価値観を捨て、仏の境地を目指すこと。 

わたしたちは仏様を拝みながら、自己と世界の在り様を冷静に見つめ、分析し、問題を知り、その解決のために努力をしないといけません。これはお釈迦様の説かれる「四諦(したい)」に学ぶところです。

「偽善」と呼ばれることもあるでしょう。でも何もしないよりはマシですよ。

 

「施餓鬼」とは、今は亡き方が我々に託した願いに触れ、今生きる我々がどう生きるべきか、しっかりと学び、そして明日をより良く生きていく。きっとそういう意味だと思います。

最後に、参加者みんなで仏教詩人・坂村真民記念館を訪問したこともあり、真民さんの言葉を転載します。

 

『あとから来る者のために』

あとから来る者のために

田畑を耕し

種を用意しておくのだ

山を

川を

海を

きれいにしておくのだ

ああ

あとから来る者のために

苦労をし

我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる

なにかをしてゆくのだ

―― 坂村真民

 

以上、

合掌

龍門 拝

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