9月18日、故・稲谷祐宣師(瀬戸内市・正通寺)の十七回忌に際し、その恩徳を偲び、当山にて追懐会(ついかいえ)が行われました。
稲谷祐宣師は、私の得度の戒師でもあり、大恩師です。小学生の頃、毎年の夏休みは正通寺に行き、祐宣師と盆行を歩きました。朝の四時、寝ている私の部屋のふすまがスパーン!と開き、「勤行じゃ!」と本堂に連れていかれては長い長い朝勤行をするのが日課で、私もイヤでイヤで仕方なかったのですが、今となってはとても懐かしい思い出です。
正座が辛くてモゾモゾしていると祐宣師が持っていた撞木が私の後頭部にドカーン!
本堂の天井が降って来たのかと思いました(笑)
祐宣師は、亡くなった今もその存在無量なる大阿闍梨で、特に、師の多くの著書は、真言宗にとって大変貴重な資料となっています。
当山名誉住職をはじめ多くの真言僧侶の方々が師を慕い、正通寺に通っていたそうですが、正通寺様の客殿が改築されるということもあり、今般、その方々が当山に集り、法要を奉修したわけです。
とても有難い時間を過ごさせて頂きました。
以下、光研名誉住職が読んだ『追懐文』です。
追懐文
祐宣さん。私たちが大阿遮梨に仰ぎ、依止師と頼んだ浄心ご房祐宣和上。遷きて17年、茫々として歳過ぎ去り、蕭々と事態は新たなりゆきます。
仏界は如何でありますか。彼岸にみる花と月、どう楽しんでいますか。
人の此の世はもう大変です。あなたが危惧されたように、そのまんま天然自然は変容し、人類は存亡を問われつづけています。和上在りせば何と言葉を発し、祈祷の実を凝らしたもうでしょう。実に遺憾という他なし、が、わが心境であります。
想い返せば生命在りし日、その学徳を慕い、密教の庭に遊んだこと。ご自坊の食卓を囲んでご夫人の饗応に甘えたり、陋巷を闊歩して気炎をあげたことなど、最早、二昔以前となりました。
今や吾らも老いを加え、後進も激浪只ならぬ中に浮沈、憂悶を抱つばかり。まさに、
一切有為法 如夢幻泡影
如露亦如電 応作如是観
一代の阿遮梨祐宣師。その本当を得たる生きざまは尚、わが胸のともしびとなりております。学恩を忘れたものではありません。而し乍ら、国政府は平和憲法9条を廃せんとし、殺生極まりない原子力発電に固執、無謀無慙そのもの。経済一辺倒、・・・・宗教の何ものなるか。
われらは蟷螂の斧、一振するの恨念であります。やんぬるかな嗚呼。今宵、和上とは彼岸、此岸のちがいあり。中秋明月の輪円を観じ、想いを同じく致したく、理趣経一巻唱えまつれば、果たして出来ますでしょうか。
世に、われは「希望」を見るものである。わたしが「希望」である、という生き方を貫ぬかんと念を凝らすものです。一座一興、追懐の言辞とす。
祐宣さん、吾らを看守って下さい。明日を生きる若者に法倖恵みたまえ。
長月18日
当山幻住 光研 敬白
<参衆>
正通寺 祐慈
慈眼院 正憲
西の院 光雄
宗林寺 俊弘
松林寺 賢真
光明院 智光
長泉寺 光研
同 龍門
追参 行願院 孝祥