当山では、平座理趣三昧法要を当日10時から厳修し、犠牲者を追悼するとともに、平和を祈りました。
長泉寺は、岡山空襲によって境内に被害があったわけではありませんが、多くの犠牲者の方のご遺体安置所となり、今や少なくなられた証言者の方々によって今に伝えられています。
「次々にトラックで死体が運ばれてくる。焼け焦げていたり、蒸し焼きになっていたり。次にバスが来て、今度はまたどこかへ持って行くんじゃ。」岡山空襲時より当山のご近所に住まれていた、今は亡きある御老人は、淡々とそう話してくださいました。その方は、お亡くなりになるまで毎朝毎夕、当山の境内に向かって手を合わせ『般若心経』をお唱えされていました。
空襲、そして終戦を迎えた後、家を失った多くの人が境内に住み込み、しばらくの間は本堂も客間も、今で言う「避難所」となっていたそうです。
戦後70年。とても重たい意味がありますが、私たちはそのことをしっかりと噛みしめられているか。
「平和」という言葉が権力者によって便利に利用され、知らず知らずのうちに危険な状態に進んでいます。憲法を無視し、国民の意見を聞かず、言論を統制する。立憲主義や民主主義は崩壊状態と言えます。
これが「独裁」でなくて何なのか。
何より、私たち一人一人のしっかりとした自覚と、行動が必要でしょう。
「珠を持てば善心生じ、釼を捉るは殺心の器」by弘法大師空海