長島愛生園・邑久光明園で思ったこと

 10月7日、ハンセン病療養施設・長島愛生園と邑久光明園にて、同和問題にとりくむ岡山県宗教教団連絡会議(岡山県同宗連)主催の研修会が行われ、わたしも参加してきました。
ハンセン病は、1873年、ノルウェーの医師・アルマウェル・ハンセンによって「らい菌」が発見され、師の名前から「ハンセン病」と呼ばれる病気。当時は不治の病といわれていましたが、1943年「プロミン」という特効薬がアメリカで確認され、日本でも大戦後は各療養所で使用されたそうです。今ではハンセン病は確実に治癒する病気となっています。らい菌の病原菌は非常に弱く、大量の菌と長期にわたって接触しなければ感染せず、またたとえ感染しても発病することは稀だそうです。実際にハンセン病療養施設での医師や職員に感染した人はいません。もちろん遺伝もありません。ヨーロッパではそのことが早くから確認され、1923年にはハンセン病患者に絶対的隔離は必要なく、たとえば風邪の患者と同様に寝室はわけるとか、いわゆる「相対的隔離」で良い、と、国によって認定されました。
  ところが日本では、平成8(1996)年にいたるまで、ハンセン病を患った経験のある者は療養所で隔離せよ!という法律「らい予防法」が存在しました。国際らい学会やWHO専門委員会が幾度も日本に勧告したのにも関わらずです。
その間の人権侵害たるや言語を絶するものがあります。隔離政策なので、当然外出は禁止、家族にも会えない。また、療養所内で恋愛をし結婚したとしも、男性は断種、女性は妊娠しても強制中絶、もし子供が産まれても殺される
日本にあるハンセン病療養所から、全部で114体のホルマリン浸け胎児が見つかっています。1980年頃までは、亡くなった方の90%が強制的に病理解剖標本としてホルマリン浸けにさせられていました。
「もういいかい 骨になっても まぁだだよ」と邑久光明園の中山秋夫さんの詩が残っていますが、もはや人間ではなく、菌として、国辱病として扱われたわけです。
強い悲しみとともに憤りを覚えざるを得ません。
 でも、なぜヨーロッパと日本で100年も差があるのか、ということが問題です。 そこに現代にも当てはまる大問題があると思います。
 ハンセン病の場合、もちろん様々な理由はありますが、一番は人々の「無関心」と「忌避意識」でした。 世間が風評に左右されず事実を事実としてきちっと評価、判断しておけば、苦しみは格段に減っていたでしょう。
先日、岡山では市長選挙がありました。投票率は33%。どの候補が云々とういうより、この数字が残念です。
今、「脱原発」とか「九条」、「慰安婦問題」、「秘密保全法」などというと、圧倒的多数が無関心。あるいは、「なんとなく関わりたくない」というようなアレルギーにも似た忌避状態。
あと、これは深慮したあげくにふと思ったことですが、そういった問題に関心を抱き、取り組んでいる人たちにも問題がないわけではない(わたしも含め)。
何をするにしても「他に求めるな。自分がやれ。」との考えもありますが、仏教的立場から言うと、「内外(ないげ・自己と他)に供養をするべき」で、自分も戒め精進しながら、他にもきちっと言うべきことは言うべき。そもそも「説教」とはそういうものですし、「自利利他」が仏教徒の行動の規範です。
  「他に求める」ことは責任を伴います。批判も覚悟しなければならない。一方、「他に求めない」ことは「自分がよければそれでいい」という状態に陥りやしないか。
日本において、ハンセン病を患った方が、完治したのにも関わらず、人権を奪われ、出口のない悩みにさいなまれ、死んでもなお命の尊厳を奪われたこと。ヨーロッパでは100年前に認められていたことが、日本ではつい最近まで認められずに来たこと。その問題の根本にあるもの、それは決してハンセン病だけでのものではないと思います。
「無関心」と「忌避意識」
また、「実践のあるべき姿」
深い勉強ができ、ありがたかったです。

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