後藤健二さんと湯川遥菜さんが、ISIL(イスラム国)によって殺害されました。ご冥福を祈らずにいられません。事件後すぐ、東京のイスラムの方々がモスクで礼拝している様子が報道されました。その報道の中で、モスクの代表の方がインタビューに答えられ、「後藤さんと湯川さんの死を悼むとともに、イスラムの教えは殺人を許さないということをこの場を借りて申し上げたい。」とおっしゃっていました。こういう真摯で誠実な行動ができる宗教というのは立派だなぁと思います。イスラム教に対して、わたしたち日本人は差別や偏見を持たないように心掛けなければいけません。
2月1日、後藤さんが所属していた日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)が声明文を発表しました(http://www.jvja.net/JVJA_IS_Statement.htm)。この中で「なぜこのような事件が起き、そして繰り返されるのか、報復は憎しみと対立を煽るばかり。暴力による負の連鎖を断ち切るために、原因を追求し、私たちは賢明な平和的手段で解決することを訴える。今も世界各地では戦闘や空爆が続き、犠牲者は増え続けている。暴力から尊い命を守ること、それが後藤さんがジャーナリストとして命をかけて伝えたかったことではないか。」と述べられています。わたしは、この『JVJA声明文』が、輪廻からの解脱を説く仏教の思想と極めて近いものであると考えています。わたしたち仏教徒は、報復や負の連鎖(=輪廻)からの解放(=解脱)を目的としており、「因果性」、つまり、物事には必ず「原因」と「結果」が存在するということを基本として思考します。今回のことで言えば、先ずISILの背景や、シリアをはじめ中東の現状を深く知り、そこへの手立てをしっかりと行わなければならないわけで、ISILを「テロリスト(=敵)」と設定し、空爆を行ったところで何も始まらないし、それどころか問題をさらに複雑にするだけだと思います。
なかなか報道されませんが、アサド政権による独裁が続くシリアでは、反体制派掃討のための政府軍と、対ISILをうたう米軍ほかアラブ五ヵ国による空爆で、これまでに約二十万人が死亡、シリア人口の半分、約一千万人の方が難民となっています。そしてその多くの方が、女性や子どもであり、そこから生まれる恨みや憎しみは今も増すばかりです。忘れてはならないのは、その女性や子どもたちを命掛けで取材し、世界に発信し続けたのが後藤健二さんだったということです。こういうジャーナリストの方がいるからこそ、わたしたちは世界の「負」を知ることができ、問題を分析し、平和に向けた解決策をはかることができるのです。
最後に、イランの映画監督マフマルブフ氏の言葉を引用し、後藤さんと湯川さんのご冥福をお祈りいたします。
「タリバンは遠くから見れば危険なイスラム原理主義だが、近くで見れば飢えた孤児である。」