除夜の鐘

jyoyanokane

本日23時から本堂で今年最後の勤行。

23時40分ごろから鐘を鳴らします。

当山は参拝者全員が一打づつ鳴らしますので、108回では終わりません(笑)

あたたかい甘酒や豚汁のお接待もあります。

どうぞご参拝ください。

 

住職

岡山商科大学で講義

11月18日、25日に岡山商科大学経営学部で「人と心による経営」というテーマの講義をしました。

岡山経済同友会が岡山商大とタイアップした「ボランティア・プロフェッサー講義」の一環で、私もメンバーとして参加するRNN人道援助宗教NGOネットワークに依頼があったことで実現した企画でした。

仏教を通して経営を考える・・・、学生よりおそらく私の方が勉強をさせていただいたでしょう(笑)

とてもいい経験でした。

http://www.rnn.jp/katsudo/shodai.html

祈りの秋

11月21日、当山境内にて「永代供養楽陽廟春秋祭」、「戦没者精霊供養安らぎの塔前平和祈願祭」、並びに「平成25年長泉寺文化祭」が開催されました。

楽陽廟

午前10時より、永代供養「楽陽廟」にて、お祀りしている各家精霊の合同供養法会を奉修。

春秋祭

「永代経」、「十三仏真言」等をお唱えした後、「光明真言」を唱えながら地下から3階までを練供養。各精霊に回向を捧げました。

10時半からは、戦没者精霊供養塔「安らぎの塔」の前において、「平和祈願祭」が行われ、有縁の方々および長泉寺ご詠歌会や長泉寺和讃会ゴスペラーズなどが参加しました。

安らぎの塔

塔前「平和祈願祭」

また、客殿では、平成25年長泉寺文化祭が行われ、長泉寺書の会、御室流華道教室の作品が展示されました。

文化祭書の会

文化祭華道

文化祭書の会2

「災害時における宗教施設のあり方を考える」開催報告

11月6日(水)、黒住京本部で表題の催しが開かれ、当山からも総代、世話人様はじめ、私や名誉住職、職員などが出席しました。

RNNボランティア講座Ⅲ①

第1部は、岩手県大槌町曹洞宗吉祥寺・高橋英悟ご住職の講演。東日本大震災発生時、御自坊の法事会館で約250名の避難者を受け入れ、その他、近くの住居でそれぞれ避難生活をされていた方々への物資支援や、お亡くなりになった方々の供養など、ご自身が行われた活動の経験談のほか、災害時に宗教施設が求められる様々な事、そのための準備や心得など、貴重なお話しをして下さいました。

高橋住職は、釜石仏教会の事務局長を務められておられますが、真に聡明な方で、お人柄も素晴らしく、前々から尊敬していた方でしたが、今回さらにその思いは強くなりました。芯が強い、というか、仏法が思考の中心にしっかりと存在し、それがどんなときもブレない。一般的に「防災」について考えるとき、保存食や水の確保、非常用電源や仮設トイレなどばかりに目が行きますが(もちろんそれも重要なことに変わりないですが)、何より大事なことは、その時に何を考え、どう判断するか。つまり、「自己パフォーマンス」を日頃からどれだけ高めていられるか、ということを忘れてはならない。

今回、岡山で直接お話しをいただき、多くの方々に聞いてもらえたことを大変うれしく、有意義なことだと考えています。

RNNボランティア講座Ⅲ②RNNボランティア講座Ⅲ③

第2部では、BNN仏教NGOネットワーク『寺院備災ガイドブック』の著者・自覚大道さんに、もし今南海トラフ大地震が起きて、黒住教本部に50名の避難者がやってきたら!?との想定のもと、シュミレーションワークを行っていただきました。

参加者全員で、事務局・広報・食事・保険などの役割を分担し、次々に指示される内容について対応したのですが、これが想像以上に大変・・・。実際に災害が起こったら一体どうなるのか・・・、とにかく、日ごろからの備えと、勉強が大切だなぁとつくづく思い知らされました。

 

いつか来る大地震。

そのとき長泉寺も避難所になる可能性は高い。

総代会、世話人会、地域、行政との連携強化を図っていく必要があります。

皆様にもご協力いただきたいと思います。

 

主催:RNN人道援助宗教NGOネットワーク/岡山県NPO活動支援センター「ゆうあいセンター」

共催:こころをつなぐ虹プロジェクト

 

災害時における宗教施設のあり方を考える

宗教関係の方をはじめ、防災に関心のある方々へのお知らせです。
RNNボランティア講座Ⅲ・NPO活動支援センター「ゆうあいセンター」出前セミナー
「災害時における宗教施設のあり方を考える」
◆ 11月6日(水)13:30~17:00
@黒住教本部 鶯鳴館別館(岡山市北区尾上2770)/駐車場あり
参加費:500円(資料『寺院備災ガイドブック』代として)
◆基調講演『災害時、地域の中で宗教施設・宗教者はどうあるべきか?』
講師:高橋英悟さん(岩手県釜石仏教会事務局長・岩手県大槌町吉祥寺住職)
◆ワークショップ『地域と絆で高める備災、自分で作る備災マニュアル』
講師:自覚大道さん(BNN仏教NGOネットワーク・公益財団法人シャンティ国際ボランティア会職員)
  必ず来ると言われている南海トラフ大地震。 岡山市では震度6弱の揺れが予想されています。 また、岡山市が作ったハザードマップでは、市内あちこちで液状化危険度が極めて高い、との評価。
東日本大震災では、多くの宗教施設が地域や社会からの期待に応え、あらためてその存在意義を発揮しましたが、岡山に住む私たちも備えを怠ってはいけません。
皆様ぜひ、お越しください。
主催:RNN人道援助宗教NGOネットワーク/岡山県ボランティアNPO活動支援センター「ゆうあいセンター」
共催:こころをつなぐ虹プロジェクト

長島愛生園・邑久光明園で思ったこと

 10月7日、ハンセン病療養施設・長島愛生園と邑久光明園にて、同和問題にとりくむ岡山県宗教教団連絡会議(岡山県同宗連)主催の研修会が行われ、わたしも参加してきました。
ハンセン病は、1873年、ノルウェーの医師・アルマウェル・ハンセンによって「らい菌」が発見され、師の名前から「ハンセン病」と呼ばれる病気。当時は不治の病といわれていましたが、1943年「プロミン」という特効薬がアメリカで確認され、日本でも大戦後は各療養所で使用されたそうです。今ではハンセン病は確実に治癒する病気となっています。らい菌の病原菌は非常に弱く、大量の菌と長期にわたって接触しなければ感染せず、またたとえ感染しても発病することは稀だそうです。実際にハンセン病療養施設での医師や職員に感染した人はいません。もちろん遺伝もありません。ヨーロッパではそのことが早くから確認され、1923年にはハンセン病患者に絶対的隔離は必要なく、たとえば風邪の患者と同様に寝室はわけるとか、いわゆる「相対的隔離」で良い、と、国によって認定されました。
  ところが日本では、平成8(1996)年にいたるまで、ハンセン病を患った経験のある者は療養所で隔離せよ!という法律「らい予防法」が存在しました。国際らい学会やWHO専門委員会が幾度も日本に勧告したのにも関わらずです。
その間の人権侵害たるや言語を絶するものがあります。隔離政策なので、当然外出は禁止、家族にも会えない。また、療養所内で恋愛をし結婚したとしも、男性は断種、女性は妊娠しても強制中絶、もし子供が産まれても殺される。
日本にあるハンセン病療養所から、全部で114体のホルマリン浸け胎児が見つかっています。1980年頃までは、亡くなった方の90%が強制的に病理解剖標本としてホルマリン浸けにさせられていました。
「もういいかい 骨になっても まぁだだよ」と邑久光明園の中山秋夫さんの詩が残っていますが、もはや人間ではなく、菌として、国辱病として扱われたわけです。
強い悲しみとともに憤りを覚えざるを得ません。
 でも、なぜヨーロッパと日本で100年も差があるのか、ということが問題です。 そこに現代にも当てはまる大問題があると思います。
 ハンセン病の場合、もちろん様々な理由はありますが、一番は人々の「無関心」と「忌避意識」でした。 世間が風評に左右されず事実を事実としてきちっと評価、判断しておけば、苦しみは格段に減っていたでしょう。
先日、岡山では市長選挙がありました。投票率は33%。どの候補が云々とういうより、この数字が残念です。
今、「脱原発」とか「九条」、「慰安婦問題」、「秘密保全法」などというと、圧倒的多数が無関心。あるいは、「なんとなく関わりたくない」というようなアレルギーにも似た忌避状態。
あと、これは深慮したあげくにふと思ったことですが、そういった問題に関心を抱き、取り組んでいる人たちにも問題がないわけではない(わたしも含め)。
何をするにしても「他に求めるな。自分がやれ。」との考えもありますが、仏教的立場から言うと、「内外(ないげ・自己と他)に供養をするべき」で、自分も戒め精進しながら、他にもきちっと言うべきことは言うべき。そもそも「説教」とはそういうものですし、「自利利他」が仏教徒の行動の規範です。
  「他に求める」ことは責任を伴います。批判も覚悟しなければならない。一方、「他に求めない」ことは「自分がよければそれでいい」という状態に陥りやしないか。
日本において、ハンセン病を患った方が、完治したのにも関わらず、人権を奪われ、出口のない悩みにさいなまれ、死んでもなお命の尊厳を奪われたこと。ヨーロッパでは100年前に認められていたことが、日本ではつい最近まで認められずに来たこと。その問題の根本にあるもの、それは決してハンセン病だけでのものではないと思います。
「無関心」と「忌避意識」
また、「実践のあるべき姿」
深い勉強ができ、ありがたかったです。

お彼岸まわり

9月20日より、檀信徒の皆さま方のお宅へ「お彼岸参り」におじゃましております。

 彼の岸とは向こう側の岸のこと。つまり仏さまの世界のことです。反対に、こっち側は「此岸(しがん)」といって、悩み苦しみの多き人間界のこと。できればちょっとでも楽になりたいですが、そのためには先ず、仏さまに手を合わすことが肝心です。つまり、「お彼岸」とは、こっち側(此岸)の者が仏道修行に励み、仏さまの世界(彼岸)に近づこうと努力をする期間のことですね。

お仏壇を綺麗にかざり、御墓参りをしましょう。

事前にお送りさせて頂いているおはがきにて、日程をご確認ください。

よろしくお願いします。

稲谷祐宣師十七回忌追懐会

9月18日、故・稲谷祐宣師(瀬戸内市・正通寺)の十七回忌に際し、その恩徳を偲び、当山にて追懐会(ついかいえ)が行われました。

稲谷祐宣師は、私の得度の戒師でもあり、大恩師です。小学生の頃、毎年の夏休みは正通寺に行き、祐宣師と盆行を歩きました。朝の四時、寝ている私の部屋のふすまがスパーン!と開き、「勤行じゃ!」と本堂に連れていかれては長い長い朝勤行をするのが日課で、私もイヤでイヤで仕方なかったのですが、今となってはとても懐かしい思い出です。

正座が辛くてモゾモゾしていると祐宣師が持っていた撞木が私の後頭部にドカーン!

本堂の天井が降って来たのかと思いました(笑)

 

祐宣師は、亡くなった今もその存在無量なる大阿闍梨で、特に、師の多くの著書は、真言宗にとって大変貴重な資料となっています。

当山名誉住職をはじめ多くの真言僧侶の方々が師を慕い、正通寺に通っていたそうですが、正通寺様の客殿が改築されるということもあり、今般、その方々が当山に集り、法要を奉修したわけです。

とても有難い時間を過ごさせて頂きました。

以下、光研名誉住職が読んだ『追懐文』です。

追懐文

 祐宣さん。私たちが大阿遮梨に仰ぎ、依止師と頼んだ浄心ご房祐宣和上。遷きて17年、茫々として歳過ぎ去り、蕭々と事態は新たなりゆきます。

 仏界は如何でありますか。彼岸にみる花と月、どう楽しんでいますか。

 人の此の世はもう大変です。あなたが危惧されたように、そのまんま天然自然は変容し、人類は存亡を問われつづけています。和上在りせば何と言葉を発し、祈祷の実を凝らしたもうでしょう。実に遺憾という他なし、が、わが心境であります。

 想い返せば生命在りし日、その学徳を慕い、密教の庭に遊んだこと。ご自坊の食卓を囲んでご夫人の饗応に甘えたり、陋巷を闊歩して気炎をあげたことなど、最早、二昔以前となりました。

 今や吾らも老いを加え、後進も激浪只ならぬ中に浮沈、憂悶を抱つばかり。まさに、

    一切有為法  如夢幻泡影

   如露亦如電  応作如是観

  一代の阿遮梨祐宣師。その本当を得たる生きざまは尚、わが胸のともしびとなりております。学恩を忘れたものではありません。而し乍ら、国政府は平和憲法9条を廃せんとし、殺生極まりない原子力発電に固執、無謀無慙そのもの。経済一辺倒、・・・・宗教の何ものなるか。

 われらは蟷螂の斧、一振するの恨念であります。やんぬるかな嗚呼。今宵、和上とは彼岸、此岸のちがいあり。中秋明月の輪円を観じ、想いを同じく致したく、理趣経一巻唱えまつれば、果たして出来ますでしょうか。

 世に、われは「希望」を見るものである。わたしが「希望」である、という生き方を貫ぬかんと念を凝らすものです。一座一興、追懐の言辞とす。

 祐宣さん、吾らを看守って下さい。明日を生きる若者に法倖恵みたまえ。

  

   長月18日           

   当山幻住   光研 敬白

 

 <参衆>

正通寺 祐慈

慈眼院 正憲

西の院 光雄

宗林寺 俊弘

松林寺 賢真

光明院 智光

長泉寺 光研

  同  龍門

追参 行願院 孝祥

仁和寺観音堂修復にあたり、開山法皇に想いを寄せる。

 我ら真言宗御室派の総本山仁和寺では、今年度より重要文化財である観音堂の修復工事が行われています。この観音堂は、私が僧侶となるための修行を終え、門跡猊下より伝法灌頂の印信をお授けいただいた思い入れのある御堂です。当山ではさっそく、特別義納金595,000円を奉納させて頂きました。皆さまにはどうかご理解をいただきたく、よろしくお願いします。

  仁和寺(にんなじ)は、第59代宇多天皇が仁和4年(888年)に御尊父、第58代光孝天皇の発願を継承、開創されたお寺です。以降、明治に到るまで、皇族の御方が門跡を歴任されたことから「旧御室(おむろ)御所」と呼ばれています。

 

 宇多天皇は、光孝天皇の第三子でありますが、仁和3年(887年)に先帝崩御の後を受けて即位。幼少のころから出家の御志をお持ちで、昌泰2年(899年)に東山椿峰円城寺・益信僧正について御出家、法皇となられました。この時の御年齢が今の私と同じほどであることには驚きます。

 「朕、誠に愚と雖も而も法にあらざれば行はず、道にあらざれば言はず、たとえ罪を犯すとも而も大過に及ばず、而して咎害(きゅうがい)あれば国内の神祇に憑(たの)み奉て今に怠るなし。況んや元来三宝に帰依し旦夕に敬拝せざるなし。而して災害頻(しき)りに発し、死微あるべければ、唯天神地祇並びに三宝の冥助を願い身命を保たしめむ。(宇多天皇御事略)」

 と言葉を残されていますが、国の安泰(今日でいう世界の安泰)、人々の安寧を心から願う法皇の御心がここに拝察できます。

 「仁和(にんな)」とは、光孝天皇が定めた元号ですが、宇多法皇もその意を尊重し、寺号にあてられたわけで、我々真言宗御室派の仏教者にとっては極めて重要な言葉です。

意味について、先ず、「仁」という字。これは、儒教でいう「仁・義・礼・智・信」という人間が仰ぐべき「五常」諸徳の一番目。「慈しみ」とか「情け」という意味ですが、ここでの意味はそれだけに留まらず、仏教をこよなく御信仰された光孝天皇の御志を考慮すれば、仏教本来の「仁」の意、つまり「ほとけ」という意味が多分に含まれていると考えられます(『一如(御室青年教師会機関誌)』より「仁和の教風(一)(二)(三)」昭和51年・小田慈舟師の考察を参考)。「和」とは「調和する」、「和合する」という意味に疑いないわけで、つまり「仁和」とは、争いや災害の絶えないこの国および世界中の人々に、「仏の如く大調和に生きよ!」という二大尊師の大願でありましょう。

 今日の我が国は、経済発展により豊かになったとは表面だけのことで、「分断」に次ぐ「分断」により人心は荒れ、悲しみの多い社会となっています。権力者は自分達の目先の利益のために搾取と切り捨てを続け、政治家は「国際貢献のため」と平和憲法を変えては、「経済成長と環境のため」と核を拡散するという欺瞞を働こうとしています。日本の貧困率は世界第2位(相対的貧困率;所得が国民平均所得の半分以下の割合)で16%に達しています(OECDに基づく厚生労働省発表のデータ参照)。このままではさらに分断によるストレスが溜まり続けていきますが、最後に待っているのは「暴力」による社会のリセットしかありません。

このような時代であればこそ、真言宗御室派の仏教者は今一度、光孝天皇、宇多法皇はじめ歴代尊師の遺志を仰ぎ、「仁和なる社会」の実現の為、衆生救済、抜苦与楽の善行を修することが大事であろうかと、浅学非才ながら強く肝に銘じる次第であります。

2013年「おせがき行」

8月25日(日)、我々長泉寺一行(67名)は、各家過去精霊の菩提、並びに、ご先祖の倍増法楽を祈るとともに、三界六道有無両縁の万霊に回向をするために、愛媛県松山市「四国霊場第51番札所・石手寺」様を参拝し、同寺不動堂にて「せがき供養法要」を行いました。

雨のため、石手寺様不動堂内にて奉修。

石手寺御住職・加藤俊生師は、数年前に広島市「世界平和祈念大聖堂」にて行われた憲法九条を護る集会でご一緒させてもらって以来。再会できたこと、また、参加者の方々に法話をして頂いたこと、大変嬉しく思います。

加藤師は、「身・口・意」つまり、行動と言葉と祈り(心)が一体となっておられる数少ない僧侶のお一人で、個人的にはずいぶん前から尊敬していた方です。一体どこにそんな時間があるのか不思議になるくらい平和活動を実践されておられ、さらには2年前の「東日本大震災」における被災者の方々や、原発事故によって受難されている方々の支援も多く手がけられています。(詳しくは石手寺様ホームページにて⇒http://nehan.net/)

この度お話下さったことは、仏陀となられる前のお釈迦様が、シャカ族の王子として、一族の生き残りをかけた戦いに出たときの言葉について。

「武器を手にし敵を討とうとした。しかし、剣を振り下ろそうとしたとき恐怖に襲われた。人を殺すことはできない。そしてそれまで当り前と思っていた世界は変容し、それとは異なる世界が見えてきた。私たち人間は、生存競争に苦しみ、敵対し苦しみあっている・・・。

そのときだった。私に見えない矢が突き刺さった。欲望という名の矢である。私たちは様々な世界に苦しみからの脱出を求めたが、実はその原因は私たちの存在そのものにあったのだ。この矢を抜く以外に苦しみからの脱出はない。」

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長泉寺では、毎年お盆が過ぎたころに、この「施餓鬼(せがき)法要」を近県の何処か(毎年どこに行くか悩んでいます・・・)にて行います。もちろん、各ご家庭における今は亡き方のご供養の為でもありますが、「施・餓鬼」ですから、餓鬼供養が主です。

餓鬼とは、輪廻を繰り返す「六道世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)」の下から二番目の世界に生きる者たち。「六道輪廻(ろくどうりんね)」というと、なんだか難しく聞こえますね。そこでわかりやすく解説。

地獄・・・生きていくのが辛い世界。もう死んだ方がマシだという世界。

餓鬼・・・飢え苦しみの世界。貧。飢餓。

畜生・・・人間ではない世界。人間として認めない世界。人権のない世界。差別の世界。

修羅・・・争いの世界。戦いの世界。けんか。略奪。戦争。

人間・・・生・老・病・死の苦しみ。渇愛、恨み、挫折、身体的・精神的障害などの苦しみが付きまとう世界。

天・・・なんでも欲しい物が手に入る世界。欲望が満たされる世界。

できれば天に生まれ変わりたい!と思いますが、仏教で言えば天もまた輪廻の世界。つまり迷いの世界です。

今、世界を見渡してみると、まさにこの「六道輪廻」そのものです。

多くの自死者。経済格差による貧困。種々の差別(人種・性・民族など)。戦争。執着。欲望。

こういう世界は、「負の連鎖」を繰り返します。

例えば、アメリカが過去に行ってきた搾取と略奪。それに怒りを禁じ得なかったイスラム諸国の貧困層。そして、9.11同時多発テロという「怒りの爆発」が発生(決して「9.11」を肯定しているわけではありません)。世界一の武装国家であるアメリカが本土攻撃されたわけですから、国家武力を高めれば平和になるということのウソがわかったわけです。さらに、それへの報復としてのイラク戦争に突入していきます。これ以上の連鎖は続いて欲しくないと願いますが、止めることはそう簡単ではありません。最近ではシリアへ軍事介入するなどというニュースがありましたね。残念でなりません。

アメリカでは、国家資本90%を1%の人々が持っていると言われています。お金持ちになることが悪いわけではありませんが、その1%の人々がいる半面、世界の約8分の1の方は餓死寸前の状況。その「怒り」はこれからどこへ向かうでしょう・・・。

負の連鎖。

これを「輪廻」と呼ぶのです。

 

さて、大事なことは、わたしたち自身が六道の中のどの世界にいるかを自覚し、この六道からの解脱を目指すこと。輪廻する価値観を捨て、仏の境地を目指すこと。 

わたしたちは仏様を拝みながら、自己と世界の在り様を冷静に見つめ、分析し、問題を知り、その解決のために努力をしないといけません。これはお釈迦様の説かれる「四諦(したい)」に学ぶところです。

「偽善」と呼ばれることもあるでしょう。でも何もしないよりはマシですよ。

 

「施餓鬼」とは、今は亡き方が我々に託した願いに触れ、今生きる我々がどう生きるべきか、しっかりと学び、そして明日をより良く生きていく。きっとそういう意味だと思います。

最後に、参加者みんなで仏教詩人・坂村真民記念館を訪問したこともあり、真民さんの言葉を転載します。

 

『あとから来る者のために』

あとから来る者のために

田畑を耕し

種を用意しておくのだ

山を

川を

海を

きれいにしておくのだ

ああ

あとから来る者のために

苦労をし

我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる

なにかをしてゆくのだ

―― 坂村真民

 

以上、

合掌

龍門 拝