長泉寺寺子屋文化講座vol.24

昨日(5/23)、長泉寺寺子屋文化講座vol.24を開催しました(参加43名)。

テーマは、近世において多くの人が巡礼した「六十六部日本廻国」。

講師には、宗教民俗学を専門にされているノートルダム清心女子大学文学部教授の小嶋博已先生をお招きし、膨大な調査の中から興味深い実例をあげていただきながら、その詳細にせまりました。

六十六部とは、元来は大乗妙典、即ち「法華経」を全国(日本66ヶ国)の寺社に奉納するという名目で行われていた巡礼(最盛期時には阿弥陀信仰や地蔵信仰に傾倒)のことで、中世から近世にかけて盛んに行われていました。近年、御朱印が大流行りですが、西国巡礼や四国遍路をはじめ、それら巡礼の元祖にあたるのがこの六十六部です。

六十六部の遺構としては、その実践者の巡礼成満を讃える石碑や、道半ばで行き倒れた者の供養塔が今でも全国各地に残っています。岡山県内にも小嶋先生が調べたものだけで539基もあるそうで、全国では約10,000基に達します。が、これらも本来の数(未発見)の数分の一程度でしょうし、実践者のすべてに対して石碑を建てているわけではないでしょうから、実際にはとんでもない数の巡礼者がいただろうと思われます。国富の普門院(下写真)には、巡礼者への宿泊を提供(いわゆる「お接待」)した者を讃える石碑が現存しており、そこには実に一万人にそれを行ったことが記されています。仮に50年間にわたって実施したとしても、一年に200人の巡礼者に宿を提供した計算になるわけですから驚きます。

最盛期だった近世後期には、彼ら(講組織のようなものでしょうか?)も一定の力を持つようになっており、我が宗派の総本山仁和寺の裏山(成就山)にある「御室八十八ヶ所霊場」の整備工事も彼らが手掛けたようです。

岡山市内には、法界院(三野)や法萬寺(原)の墓地にも六十六部の石碑が残っているほか、ひょっとすると古い墓地にはまだ発見されていないものがあるかもしれません。

お墓参りの際に探してみるのもおもしろいと思います。