令和5年 本尊薬師 初縁日「大般若法会」

1月8日、毎年恒例の「大般若法会」を奉修いたしました。

有縁のご寺院にご参集いただき『大般若波羅蜜多経』を転読する当法会は、檀信徒皆様の一年の無事安寧を祈願するため、当山本尊薬師如来の新年最初のご縁日に毎年奉修しております。今年は併せて、ウクライナ・ロシアの有事が早期に収束してほしいという世界平和の願いとともに、コロナ禍の収束祈願を含めて、本尊薬師如来、および大般若経の本尊である般若十六善神の宝前に法会を開莚させていただいた次第です。

法会後には、二胡奏者として岡山で長年活躍をされている田川(デンセン)様に奉納ミニコンサートをいただき、新春を寿ぐ時間を持つこともできました。

関係者皆様には厚く御礼申し上げます。

令和5年 新年のご挨拶

 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 令和5年が始まりました。令和もはや5年目!ということに驚いてしまいますが、あっという間に過ぎてしまう時間の中で、あらためて今をしっかりと生きていこうと心致す次第でございます。

 さて昨年は、コロナ禍においても玉佛堂の落慶、樂陽廟のリフォーム、境内トイレのバリアフリー化など、境内ハード面の整備が進み、同時に恒例法会および教化活動、文化活動、社会福祉活動、さらには長男龍山房、次男龍城房の得度式、護身法伝授の開莚といったお寺のソフト面も充実した一年でありました。檀信徒皆様には、あらためて当山へのご理解とご協力に感謝を申し上げます。

 今年は、干支が「癸卯」ということで、お寺だけでなく檀信徒皆様がうさぎのようにピョ~ンと跳躍する一年となってほしいと願うところでございますが、そのためには先ず一つに「平和」、二つに「コロナ禍の収束」、三つに「自然との調和」というキーワードをあげたいと思います。

 以下、当ブログにしては珍しく長文ですが、お時間ある方にはお付き合いください。

 まず「平和」についてですが、現在進行形のウクライナとロシアの有事、これがなんとか改善してほしいですし、同時に我が国を含む東アジアに漂う不穏な空気が、どうか暴走しないようにと願うことひたすらであります。戦争というのは、それがたとえ一部の地域に限ったものに見えたとしても、それによって世界は不安定になり、様々に負の余波を広げてしまいます。世界が平和であればこそ、私たちの日常はつつがないものとなりえます。

 ところで「平和」ということを思うとき、私はいつも「成仏」を思い起こします。「成仏」というのはまさに全仏教徒の目標といっても良いわけですが、その手段は?というと真言宗では身口意(しんくい)の三密行(さんみつぎょう)ということになります。つまりは「言葉」、「行動」、「心(想い)」のそれぞれを仏の如くにすること。もし自らの言葉、行動、そして心(想い)の三つを仏の如くにすることができれば、それはもうほぼ仏と同体であり、真言宗的には「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」ということであります。そしてここで重要なのが、成仏という目標とそれを達成するための手段は同じであるということです(成仏はゴールであるとともにスタートなのです)。

 「平和」という目標も実に同様で、平和を達成するためには平和を実践するほかに方法はありません。即ち政治、外交、経済など、官民を問わず様々な努力の積み重ねが必要であり、そしてそれらを忍耐強く、平和的に進めていくことです。もちろん現状では軍事力も重要な要素でありますが、少なくとも「平和のための戦争」などという戯論(けろん)には惑わされないようにしないといけません。

 二つ目は「コロナ禍の収束」です。これもまさに人類共通の願いでありましょう。「withコロナ」と言われて久しいですが、「収束」といってもコロナウイルス自体が終息することはもはや無いわけでして、いかにコロナと付き合っていくのか?どのタイミングでどの程度を元の状態に戻していくか?ということを見極めていくことが重要なのだろうと思います。

 若くて元気な方の間ではすでに「インフルエンザ並み」ととらえている人も多くなっているようですが、高齢者や疾患のある人にとっては未だ脅威であることに変わりはありません。実際に当山檀徒の方にもコロナによって亡くなられた方がおられますし、いわば、「大丈夫な人にとっては大丈夫。危険な人にとっては危険。」というのが現状なのだろうと思います。

 まだしばらくは安易な判断はできない状況が続きますが、それでも着実に少しずつ前には進んでいて、あともうちょっとで出口に到達できるのではないかという期待感も膨らんでいます。どうか今年のどこかで、皆さんのマスクが要らなくなり、人が人に普通に会える、大勢が一緒に楽しめる、そんな笑顔あふれる社会が戻ってきてほしいと願っております。

 三つ目は「自然との調和」です。これはもちろん第一に地球環境を守るということでもありますが、仏教者としては私たちの意識面においても自然への回帰みたいなものが必要だと考えています。

 そもそも自然というのは、我々人間の手には負えないものであり、私たちの思い通りにはなってくれないものであります。だからこそ八百万の神を祀る我が国では、古来より常に畏怖の念をもって自然に接してきました。ところが現代を生きる我々は、自然をも人間がコントロールできると心のどこかで勘違いしているかのように思えます。

 考えてみますと、我々が住んでいる街はコンクリート製のビルにアスファルト製の道路。とにかく人間が管理しやすいように街全体が人工物で覆われ、管理の行き届かない自然はなるべく排除しようという力学が働いています。そうしておけば、便利だし安全であると。人工物というのは人間の意識が作り出したものですから、そのような人工的な環境下で日常生活を送っていれば、なんでも意識によって解決できると感じてしまうのも当然のことなのかもしれません。

 しかしながら、言うまでもなく我々人間自体が自然の産物であり、まさに自然そのもののはずです。心臓を動かすのも呼吸をするのもおなかがすくのも、別に意識的にやっているわけではありませんし、そもそもこの世に生まれて来たこと自体、自分の意志ではありません。「生きる」というのは本来そういうことであって、私たちの意識の産物ではないのです。

 自然に触れていればそれがよくわかります。私は坊主ですので境内を綺麗にしようと草を取ったり木を剪定したりするわけですが、いくら頑張ってもまた草は生え、木は枝を伸ばします。全くこっちの思い通りにはなってくれないのが自然であって、また自然はそれを意識的にやっているわけでもありません。草を取る、木を剪定するというのは、我々人間の意識が一方的にその方が美しいと評価しているだけのことであって、自然の側からするとただあるがままにあるのみで、何ら問題もないわけです。自然には評価という概念自体がないのですから当たり前と言えば当たり前なわけですが、ここで気づくべきことは、我々人間だって本来はそういうものだということです。

 しかし我々には意識があります。意識は良くも悪くも生きることに対して意味や価値を問い、優劣や善悪といった評価を与えます。もちろん意識が様々に評価を与えるからこそ、危険を察知したり、安全を確保したりすることが可能となるわけで、評価すること自体は生きていく上で必要不可欠なものです。特に社会生活をする上では、勉強も仕事も評価しないというわけにはいかないですし、評価があるからこそ頑張ろうというモチベーションにつながったり、人間社会の秩序が保たれたりもします。

 ただここで申し上げたいのは、自然に評価という概念がないように、我々人間も評価のしすぎには注意した方が良いのではないかということです。そして、現代はまさに評価過剰でありましょう。テレビやインターネットではありとあらゆる事柄に対して様々な批評がなされ、その批評に対しても我々一般視聴者がさらに批評を上乗せするという状況です。「炎上」という言葉も定着しましたが、まるで日本国民全体が評論家のような状態で、批判の応酬合戦が繰り広げられています。私にはそれがちょっと異様に思えてならないのですが、皆さんはどのように感じていますでしょうか。

 また、飲食店、学校、病院、さらには神社やお寺までもが、インターネット上に星の数がいくつ付いているかという形で評価され、SNSでは個人のプライベートなことにまで「いいね!」という評価の数が付せられています。それら自体に善悪があるというわけではないですが、やはりちょっと評価のやりすぎであるように感じます。少なくとも評価という概念がない自然からすると、あまりに乖離した状態、すなわち自然ではない=不自然であると言うしかありません。

 不自然な状態というのは、本来は自然そのものである人間にとっても良くないのだろうと思います。現代がかかえる自己肯定感の低下、ひきこもり、鬱などのメンタル面の問題、さらには長引く不況、過疎、少子化などの問題も、根本的な原因はそこにあるのではないかとさえ個人的には感じています。皆さんにもどうか気を付けて下さい。評価は必要最低限のことに対してのみあれば良いはずで、あとはなるべく自然体でいきましょう。

 そしてそのためには、人工的(意識的)な環境ばかりを生きるのではなく、自然を体感することが大切です。風に吹かれる。日光を浴びる。泥だらけになれとまでは言いませんが、たまには土を触ったり、砂埃にまみれたり、雨にぬれたりも良いでしょう。そしてそれを良いとか悪いとか評価するのではなく、自然とはそういうものだと受け入れることです。突拍子もないようなことかと思われるかもしれませんが、私は結構まじめにそう思っています。まぁ、その意味ではちょうど良いのがお寺の境内なのかもしれません。ほどよく自然と人工が交じり合っていて、心が意識的な日常から離れ、多少なりとも「ありのままに」を体感することができます。

 以上が今年のキーワードの三つ目にあげた「自然との調和」の理由です。不自然な状態が過剰に続くと、やはり予期せぬ不具合が起こってしまうのが世の常であります。密教的にいうと、智(意識)を扱う金剛界曼荼羅と、理(自然)を扱う胎蔵曼荼羅の両部がバランスよく保たれるよう精進しましょうということになろうかと存じます。

 最後に、本年は宗祖弘法大師ご誕生1250年という記念の年となります。誕生月の6月には全国各地の真言宗寺院で様々な祝事が計画されていますが、ここ岡山でも同じく準備を進めております。また追ってお知らせいたしますが、どうか多くの皆様と大師ご誕生を寿ぐ時間を過ごせたらと願っております。どうぞよろしくお願いいたします。

聖観音立像の修繕について

 ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、「水かけ観音」と呼ばれ親しまれていました当山境内長寿泉に立つ聖観音像が、本年9月台風14号の被害に遭い、倒壊してしまいました。 

 総代会で急遽その対応を協議しましたところ、損傷が激しく、修繕を避けることができない、また、檀信徒の拠りどころである仏像という観点から、皆様に任意のご寄付をお願いし、その修繕費を工面させていただこうという決議に至りました。

 檀信徒の方々をはじめ、当山に心寄せて下さる皆様にはどうかその旨ご理解いただ き、可能な御方にはどうかご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。なお、寄付者のご芳名は同像の台座銅板に刻銘させていただきますので、その旨併せてお知り置き下さいませ。

聖観音立像 修繕寄付 一口五万円也

寄付締め切り 令和五年一月末日

聖観音立像 倒壊前

護身法伝授

12月3日、護身法(ごしんぼう)の伝授を行いました。

護身法とは、真言密教において師資相承されてきた秘法であり、自身の身口意(行動、発言、意識)を清浄なるものとして、その故に自身を護り、佛弟子として即身成仏を生きるためのものです。

ただしこの法は、授戒、灌頂、印可を受けており、機根の整った方のみしか習うことができません。また、そうではない方に教えることも越三昧耶(おっさんまや)といって行者第一の重罪とされます。よって、平成26年10月に当山で行われた結縁灌頂の受者のうち、希望される方19名に限り、印可作法を経て、ご授法いただきました。

ご仏縁に感謝いたします。

菩薩戒の授与
印可作法後、護身法の伝授

白須賀観音 秋の祭

池田綱政公所縁の白須賀観音を本尊とする秋の祭を、10月15日に奉修しました。

抽選券を500枚用意しておりましたが、すべて無くなってしまうほどの多くの方にお越しいただき、ステージも大盛り上がり、屋台もアトラクションも賑やかで、とても良い祭になったと嬉しく思っています。

当祭開催に対して、檀信徒の方々をはじめ多くの方にお力添えを賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

白須賀観音 秋の祭 10月15日、開催です

池田綱政公に所縁のある白須賀観音を本尊とし執り行う当祭は、本来7/17に夏まつりとして奉修予定でしたが、今年はコロナの関係で延期となっていました。

この度あらためてここに執り行う次第です。

お近くの方はぜひお参り下さい。

白須賀観音 秋の祭

令和4年10月15日(土)@長泉寺

17:00~ 屋台OPEN(~20:30)

17:30~18:30 白須賀観音 除災招福のお加持(観音堂前)

18:00~ お楽しみステージ♪

【出演(順)】長泉寺合唱団Naga/歌のお兄さん あおにぃ/パンフルートと歌の今井勉/松原徹

20:00頃 豪華賞品をGET!?大抽選会当選発表!

 ※抽選券は当日会場でもらって下さい

20:30 終了予定

【屋台出店】酒ショップ山本/レストランSaborosa/パトラッシュT.B.W./酵素玄米MOJIRO/南方カフェ/一途と春/トコトコ商店(子ども向けアトラクション)/スーパーボールすくい(先着100名の子どもにお菓子プレゼント:南方中道長泉寺町内会)/バルーンアート(演芸ファンタジー)

会場・主催 長泉寺 岡山市北区南方3-10-40

協賛企業・団体 ㈱池田動物園/特定非営利活動法人「音楽の砦」/南方中道長泉寺町内会/あいさか歯科医院/サンヨー薬局南方店

お問合せ 086-223-7450(長泉寺寺務所)

※コロナの流行状況や台風、雨などで中止となることがあります。事前に長泉寺ホームページでご確認ください。

長泉寺WEB https://www.chosenji.net

創作手描友禅 猪股洋子と華の会 記念展 の開催

10/3から10/8まで、当方檀徒であり友禅作家の猪股洋子さんと彼女が主宰する華の会メンバーによる作品展を当方玉佛堂で開催します。
皆様ぜひお越し下さい。
 
「創作手描友禅 猪股洋子と華の会 記念展」
10月3日(月)〜8日(土)10時〜17時 
※最終日は正午まで
会場 長泉寺玉佛堂 岡山市北区南方3-10-40

お盆が終わりました。

お盆が終わりまして、暑さもコロナ流行も和らいでくれればと思う今日この頃でございます。また、ウクライナ危機をはじめとする世界の混乱、そして悲しみに対して心が痛み、その渦中におられる方々の安寧を祈らざるを得ない日々です。

さて、先月17日に予定していた「白須賀観音夏まつり」は、関係者にコロナウイルス陽性者が出てしまったために急遽中止とさせていただきました。楽しみにして下さっていた方々をはじめ、出店予定者の皆さんや、ステージ出演者の皆様にはご準備も進めていただいておりましたので、本当に申し訳ない思いでおります。また、当祭の開催に対するご寄付を多くの檀信徒の方々よりいただきました。ご協力に心より感謝を申し上げます。この度は残念ながら中止となりましたが、その代替となる祭を秋に開催いたしますので、その旨ご理解いただきますとともに、ぜひとも楽しみにしていただければ幸いです。

実はその後すぐに私もコロナウイルス感染症に罹ってしまい、併せて10日間の隔離というものを経験しました。発症した最初の日は喉がイガイガする程度でしたが、その後2日間くらい38度の熱が出て、頭痛と全身の節々が重く痛い感じが何日か続きました。おかげさまで7月末には治り、また隔離期間も終えましたので、夏の恒例行事についてはなんとか勤め上げることができ安堵する思いです。

8月15日には毎年恒例の檀信徒合同盆供養法会、並びに岡山ユネスコ協会様主催の「第23回平和の鐘を鳴らそうin長泉寺」が当山境内で開催され、20日には「おせがき行」を兵庫県西宮市神呪寺様で奉修させていただきました。ご参加いただきました皆様には心より感謝申し上げます。

令和4年8月15日 檀信徒合同盆供法会 於:玉佛堂
令和4年8月15日 平和の鐘を鳴らそうin長泉寺 主催:岡山ユネスコ協会
平和の鐘を鳴らそうin長泉寺での講演  講師:難波妙さん(AMDA理事)
令和4年8月20日 おせがき行 於:兵庫県西宮市神呪寺

今月末の予定については、今は特に若年層でコロナが流行しているとのことですので将棋クラブはお休みさせていただきます。一方で、31日に予定している「寺子屋文化講座」は開催いたします。まだ若干の空席がありますので、ご参加をご希望される御方にはお早めにお申し込み下さい。

令和4年 岡山市弘法大師降誕会「青葉まつり」

毎年6月15日に岡山市弘法大師降誕会(真言宗岡山結衆寺院)が開催している「青葉まつり」は今年、磨屋町の金剛寺を会場に無参拝形式(金剛寺総代世話人等を除く)で行われました。

法会は、山主である金剛寺様による願文、法会の趣旨を述べる祭文や和讃、さらには御詠歌などの奉納のほか、稚児大師像に甘茶をかける灌佛の儀が奉修されました。

会場後方では、能書家で三筆の一人と言われる弘法大師空海にちなんで子供たちによる書道展を開催。元気の良い作品が並びました。

来年は弘法大師降誕1250年を迎えます。特別行事も計画しておりますのでどうぞ楽しみにしていただけたらと思います。

寺子屋文化講座vol.36

6月7日、NPO法人岡山市日中友好協会専務理事の松井三平さんを講師にお迎えし、「長泉寺寺子屋文化講座vol.36」を開講。

今回は、「中国第一古刹」として有名な中国洛陽市白馬寺様より平成4年に当山に請来された玉佛釈迦牟尼如来像を本尊とする御堂(玉佛堂)が今春、当山境内に建立されたことから、岡山市と洛陽市の友好史をじっくり振り返ってみようということで、その歩みの中心で活動されてこられた松井さんにお話をいただきました。

松井さんは、岡山と洛陽の友好運動の歩みを振り返る中で、内山完造さんと中西寛治さん両氏の活躍や功績を称えながら、日中間における戦後の文化的、並びに経済的な関係性の向上についてご紹介されました。