災害時における宗教施設のあり方を考える

宗教関係の方をはじめ、防災に関心のある方々へのお知らせです。
RNNボランティア講座Ⅲ・NPO活動支援センター「ゆうあいセンター」出前セミナー
「災害時における宗教施設のあり方を考える」
◆ 11月6日(水)13:30~17:00
@黒住教本部 鶯鳴館別館(岡山市北区尾上2770)/駐車場あり
参加費:500円(資料『寺院備災ガイドブック』代として)
◆基調講演『災害時、地域の中で宗教施設・宗教者はどうあるべきか?』
講師:高橋英悟さん(岩手県釜石仏教会事務局長・岩手県大槌町吉祥寺住職)
◆ワークショップ『地域と絆で高める備災、自分で作る備災マニュアル』
講師:自覚大道さん(BNN仏教NGOネットワーク・公益財団法人シャンティ国際ボランティア会職員)
  必ず来ると言われている南海トラフ大地震。 岡山市では震度6弱の揺れが予想されています。 また、岡山市が作ったハザードマップでは、市内あちこちで液状化危険度が極めて高い、との評価。
東日本大震災では、多くの宗教施設が地域や社会からの期待に応え、あらためてその存在意義を発揮しましたが、岡山に住む私たちも備えを怠ってはいけません。
皆様ぜひ、お越しください。
主催:RNN人道援助宗教NGOネットワーク/岡山県ボランティアNPO活動支援センター「ゆうあいセンター」
共催:こころをつなぐ虹プロジェクト

第4回みんなみかた会議

10月14日(月祝)、当山にて「第4回みんなみかた会議~3.11によって岡山へ避難・移住をされた方の話を聞いてみんなで話し合う会~」が開催されました。

 

今回お話くださった方は、夏休みなどに福島の子どもたちを岡山へ招待する「保養プログラム」や、岡山県産の安心野菜を福島や関東などに送るプロジェクトを行う「せとうち交流プロジェクト」の方と、宮城県南三陸町で3.11津波被害に遭い、現在は岡山で暮らす方のお二人。

みんなみかた会議2

岡山には現在1000名を超える方々(西日本では大阪に次いで2番目の多さ)が避難や移住をされておりますが、その方々自身が立ち上がり、3.11以降様々な苦しみを抱いておられる人々の支援を行われています。

その内の一つ、「せとうち交流プロジェクト」https://sites.google.com/site/seto80meet/は、瀬戸内市と共同し、2012年、2013年夏に、瀬戸内市内にて福島の子供たち対象の保養プログラムを開催されました。福島に住む子どもたちは、放射能汚染の広がりによって屋外ではなかなか遊ぶことができず、ましてや海水浴は非常に高い危険にさらされますが、この企画によって岡山の海で思いっきり遊んだり、山に入って昆虫採集をしたり、とても楽しい思い出を作ることができたそうです。

お話くださった方は、「放射能に対する考え方は人それぞれ違うが、この活動を通して少しでも汚染地域で子どもが暮らすという問題を考えてもらえたら・・・」、と語られました。

みんなみかた会議

2人目の方は、住んでいた南三陸町で3.11津波被害に遭い、家族で岡山へ引っ越してこられた方で、4人の子どものお母さん(3.11のときは3人の母)。

3.11当日は、プレハブのような建物の2階にあったピアノ教室で子ども2人と地震に遭遇。「ああ、ここで死ぬのかぁ・・・」と思ったぐらいの揺れだったそうです。なんとか地震はおさまりましたが、小学校からピアノ教室に来るはずのもう一人の子が来ない。もしかしたら来る途中で地震に遭ったのかも・・・、と不安にかられながら急いで車を走らせますが、道路がすでに大渋滞。なんとか小学校に着きその子に会えたときは本当にうれしかったそうです。ご主人の安否がわからないまま、その夜は避難所となっていた小学校で雑巾を敷き、新聞紙一枚をかけ就寝。翌日になって、ご主人にも会え、ようやく安堵したそうです。(しかし、御義母様が、「津波が来ても3階なら大丈夫」と言われていた病院に入院中、その3階で津波にのみ込まれました。ご遺体は未だに戻ってきておられないそうです・・・。)

もし地震の時間が少しでも違っていたら・・・、あるいはお子さんが小学校をもう少し早く出発していたら・・・、会えていなかったかもしれない・・・。

ご友人の男性は、妊娠5ヶ月の奥様と津波にのまれ、握っていた手が離れてしまった・・・。結婚5年目にしてようやく子宝に恵まれたのに・・・、奥様とお子様をなくされ「自分が殺してしまった」と悔やんでおられる、と・・・。

2011年3月11日の地震が起きてから津波が来るまでの時間。それは生と死が紙一重だった時間。

残された私たちは、亡くなられた人々の無念たる思いにどのように報いることができるか。

少なくとも、あの時間に学び、これからの防災に活かすことを怠ってはいけない。

 

岡山は災害が少ないがゆえに防災意識も低い。それは幸せなことでもありますが、危険でもあります。あらためて、3.11の津波被害を体験された方の生の声を聞くことがいかに大切なことであるか、深く考えさせられました。

参加者の皆様は一同に、「今日聞いた話を一人でも多くの方に伝えたい・・・。」とおっしゃっておられました。わたしもその一人です。

佐伯隆快師

最後に主催者「こころをつなぐ虹プロジェクト」事務局・佐伯隆快師(倉敷市・一心念誦堂住職)の挨拶。

 

「みんなみかた会議」

これからも続けていきますので、ぜひ多くの方のご参加をお願いしたいと思います。

 

合掌

長島愛生園・邑久光明園で思ったこと

 10月7日、ハンセン病療養施設・長島愛生園と邑久光明園にて、同和問題にとりくむ岡山県宗教教団連絡会議(岡山県同宗連)主催の研修会が行われ、わたしも参加してきました。
ハンセン病は、1873年、ノルウェーの医師・アルマウェル・ハンセンによって「らい菌」が発見され、師の名前から「ハンセン病」と呼ばれる病気。当時は不治の病といわれていましたが、1943年「プロミン」という特効薬がアメリカで確認され、日本でも大戦後は各療養所で使用されたそうです。今ではハンセン病は確実に治癒する病気となっています。らい菌の病原菌は非常に弱く、大量の菌と長期にわたって接触しなければ感染せず、またたとえ感染しても発病することは稀だそうです。実際にハンセン病療養施設での医師や職員に感染した人はいません。もちろん遺伝もありません。ヨーロッパではそのことが早くから確認され、1923年にはハンセン病患者に絶対的隔離は必要なく、たとえば風邪の患者と同様に寝室はわけるとか、いわゆる「相対的隔離」で良い、と、国によって認定されました。
  ところが日本では、平成8(1996)年にいたるまで、ハンセン病を患った経験のある者は療養所で隔離せよ!という法律「らい予防法」が存在しました。国際らい学会やWHO専門委員会が幾度も日本に勧告したのにも関わらずです。
その間の人権侵害たるや言語を絶するものがあります。隔離政策なので、当然外出は禁止、家族にも会えない。また、療養所内で恋愛をし結婚したとしも、男性は断種、女性は妊娠しても強制中絶、もし子供が産まれても殺される
日本にあるハンセン病療養所から、全部で114体のホルマリン浸け胎児が見つかっています。1980年頃までは、亡くなった方の90%が強制的に病理解剖標本としてホルマリン浸けにさせられていました。
「もういいかい 骨になっても まぁだだよ」と邑久光明園の中山秋夫さんの詩が残っていますが、もはや人間ではなく、菌として、国辱病として扱われたわけです。
強い悲しみとともに憤りを覚えざるを得ません。
 でも、なぜヨーロッパと日本で100年も差があるのか、ということが問題です。 そこに現代にも当てはまる大問題があると思います。
 ハンセン病の場合、もちろん様々な理由はありますが、一番は人々の「無関心」と「忌避意識」でした。 世間が風評に左右されず事実を事実としてきちっと評価、判断しておけば、苦しみは格段に減っていたでしょう。
先日、岡山では市長選挙がありました。投票率は33%。どの候補が云々とういうより、この数字が残念です。
今、「脱原発」とか「九条」、「慰安婦問題」、「秘密保全法」などというと、圧倒的多数が無関心。あるいは、「なんとなく関わりたくない」というようなアレルギーにも似た忌避状態。
あと、これは深慮したあげくにふと思ったことですが、そういった問題に関心を抱き、取り組んでいる人たちにも問題がないわけではない(わたしも含め)。
何をするにしても「他に求めるな。自分がやれ。」との考えもありますが、仏教的立場から言うと、「内外(ないげ・自己と他)に供養をするべき」で、自分も戒め精進しながら、他にもきちっと言うべきことは言うべき。そもそも「説教」とはそういうものですし、「自利利他」が仏教徒の行動の規範です。
  「他に求める」ことは責任を伴います。批判も覚悟しなければならない。一方、「他に求めない」ことは「自分がよければそれでいい」という状態に陥りやしないか。
日本において、ハンセン病を患った方が、完治したのにも関わらず、人権を奪われ、出口のない悩みにさいなまれ、死んでもなお命の尊厳を奪われたこと。ヨーロッパでは100年前に認められていたことが、日本ではつい最近まで認められずに来たこと。その問題の根本にあるもの、それは決してハンセン病だけでのものではないと思います。
「無関心」と「忌避意識」
また、「実践のあるべき姿」
深い勉強ができ、ありがたかったです。

福島原発事故の真実とエネルギー自給の提案

10月4日(金)、「メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた!福島原発事故の真実と電力自給の提案」が、「自エネ組」主催、「脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山」・「みどり岡山」共催で、当山において開かれました。

元東京電力社員で福島第一原子力発電所でも炉心の設計・制御に携わられた木村俊雄さんを講師にお招きし、福島第一原発が2011年3月11日にいかにメルトダウンに至ったか、その経緯を東京電力発表の資料を基に詳しく解説していただきました。

「東電発表の1号機のメルトダウンの時刻は3月11日21時ごろであるが、同日17時19分に非常用復水器に行こうとした運転員が放射能測定器が高い値を示したため原子炉建屋内に入れなかったという事実から考えると、その前に格納容器が破損し、建屋内に放射能が充満していたことを否めない。これは、東電の事故進展評価が、津波来襲を起点に安全機能の喪失を想定しているために生じた解析とミスマッチ。また、過渡現象記録装置データと東電報告書から解析すると、地震発生1分30秒前後から安全機能喪失の可能性が高く、それは配管の破損により原子炉冷却材が漏えいによるものである。こうして冷却材の循環機能が停止し、事故が重大化した。」

以上、要約のみですが、1時間にわたって実に詳しくお話くださいました。

続いて、主催者の大塚尚幹さんと田中優さんを交えての電力自給についてのトーク。

この3人は、自エネ組(自給エネルギーチーム)のメンバーで、家の電気を自分たちで作って賄ってしまうという生活をされています。

田中優さんは、2012年末に岡山に移住、自宅と電力会社との電線をカットし、電力会社に頼らない太陽光パネルと独立電源システムだけの生活をされており、現在「未来バンク事業組合」「天然住宅バンク」理事長、「日本国際ボランティアセンター」理事、「ap bank」監事、「一般社団法人 天然住宅」共同代表など、多岐にわたってご活躍の方です。

「日本人の多くが評論家になってしまった気がする。必要なのは実践。初期投資が高ければわたしが携わっているバンクで融資もできる。商用電源から自給電源へ切り替えよう!」と、田中氏。

そして、津軽三味線奏者の蛯名宇摩さんによる演奏で、商用電源と自給電源との音質の違いのチェック。自給電源には商用電源にあるノイズが含まれないため、とてもクリーンな音を出すことができるのでした。

気づけば境内に溢れんばかりの車が・・・。実に80名以上がご来場くださり、本堂には入りきれず回廊で聞いていた方も多数。(すみませんでした)

未来に希望の持てる素晴らしい会になり、本当にありがたかったです。

 

「原発は仏教に反す」

これからもがんばっていこうと思います。