お彼岸まわり

9月20日より、檀信徒の皆さま方のお宅へ「お彼岸参り」におじゃましております。

 彼の岸とは向こう側の岸のこと。つまり仏さまの世界のことです。反対に、こっち側は「此岸(しがん)」といって、悩み苦しみの多き人間界のこと。できればちょっとでも楽になりたいですが、そのためには先ず、仏さまに手を合わすことが肝心です。つまり、「お彼岸」とは、こっち側(此岸)の者が仏道修行に励み、仏さまの世界(彼岸)に近づこうと努力をする期間のことですね。

お仏壇を綺麗にかざり、御墓参りをしましょう。

事前にお送りさせて頂いているおはがきにて、日程をご確認ください。

よろしくお願いします。

稲谷祐宣師十七回忌追懐会

9月18日、故・稲谷祐宣師(瀬戸内市・正通寺)の十七回忌に際し、その恩徳を偲び、当山にて追懐会(ついかいえ)が行われました。

稲谷祐宣師は、私の得度の戒師でもあり、大恩師です。小学生の頃、毎年の夏休みは正通寺に行き、祐宣師と盆行を歩きました。朝の四時、寝ている私の部屋のふすまがスパーン!と開き、「勤行じゃ!」と本堂に連れていかれては長い長い朝勤行をするのが日課で、私もイヤでイヤで仕方なかったのですが、今となってはとても懐かしい思い出です。

正座が辛くてモゾモゾしていると祐宣師が持っていた撞木が私の後頭部にドカーン!

本堂の天井が降って来たのかと思いました(笑)

 

祐宣師は、亡くなった今もその存在無量なる大阿闍梨で、特に、師の多くの著書は、真言宗にとって大変貴重な資料となっています。

当山名誉住職をはじめ多くの真言僧侶の方々が師を慕い、正通寺に通っていたそうですが、正通寺様の客殿が改築されるということもあり、今般、その方々が当山に集り、法要を奉修したわけです。

とても有難い時間を過ごさせて頂きました。

以下、光研名誉住職が読んだ『追懐文』です。

追懐文

 祐宣さん。私たちが大阿遮梨に仰ぎ、依止師と頼んだ浄心ご房祐宣和上。遷きて17年、茫々として歳過ぎ去り、蕭々と事態は新たなりゆきます。

 仏界は如何でありますか。彼岸にみる花と月、どう楽しんでいますか。

 人の此の世はもう大変です。あなたが危惧されたように、そのまんま天然自然は変容し、人類は存亡を問われつづけています。和上在りせば何と言葉を発し、祈祷の実を凝らしたもうでしょう。実に遺憾という他なし、が、わが心境であります。

 想い返せば生命在りし日、その学徳を慕い、密教の庭に遊んだこと。ご自坊の食卓を囲んでご夫人の饗応に甘えたり、陋巷を闊歩して気炎をあげたことなど、最早、二昔以前となりました。

 今や吾らも老いを加え、後進も激浪只ならぬ中に浮沈、憂悶を抱つばかり。まさに、

    一切有為法  如夢幻泡影

   如露亦如電  応作如是観

  一代の阿遮梨祐宣師。その本当を得たる生きざまは尚、わが胸のともしびとなりております。学恩を忘れたものではありません。而し乍ら、国政府は平和憲法9条を廃せんとし、殺生極まりない原子力発電に固執、無謀無慙そのもの。経済一辺倒、・・・・宗教の何ものなるか。

 われらは蟷螂の斧、一振するの恨念であります。やんぬるかな嗚呼。今宵、和上とは彼岸、此岸のちがいあり。中秋明月の輪円を観じ、想いを同じく致したく、理趣経一巻唱えまつれば、果たして出来ますでしょうか。

 世に、われは「希望」を見るものである。わたしが「希望」である、という生き方を貫ぬかんと念を凝らすものです。一座一興、追懐の言辞とす。

 祐宣さん、吾らを看守って下さい。明日を生きる若者に法倖恵みたまえ。

  

   長月18日           

   当山幻住   光研 敬白

 

 <参衆>

正通寺 祐慈

慈眼院 正憲

西の院 光雄

宗林寺 俊弘

松林寺 賢真

光明院 智光

長泉寺 光研

  同  龍門

追参 行願院 孝祥

仁和寺観音堂修復にあたり、開山法皇に想いを寄せる。

 我ら真言宗御室派の総本山仁和寺では、今年度より重要文化財である観音堂の修復工事が行われています。この観音堂は、私が僧侶となるための修行を終え、門跡猊下より伝法灌頂の印信をお授けいただいた思い入れのある御堂です。当山ではさっそく、特別義納金595,000円を奉納させて頂きました。皆さまにはどうかご理解をいただきたく、よろしくお願いします。

  仁和寺(にんなじ)は、第59代宇多天皇が仁和4年(888年)に御尊父、第58代光孝天皇の発願を継承、開創されたお寺です。以降、明治に到るまで、皇族の御方が門跡を歴任されたことから「旧御室(おむろ)御所」と呼ばれています。

 

 宇多天皇は、光孝天皇の第三子でありますが、仁和3年(887年)に先帝崩御の後を受けて即位。幼少のころから出家の御志をお持ちで、昌泰2年(899年)に東山椿峰円城寺・益信僧正について御出家、法皇となられました。この時の御年齢が今の私と同じほどであることには驚きます。

 「朕、誠に愚と雖も而も法にあらざれば行はず、道にあらざれば言はず、たとえ罪を犯すとも而も大過に及ばず、而して咎害(きゅうがい)あれば国内の神祇に憑(たの)み奉て今に怠るなし。況んや元来三宝に帰依し旦夕に敬拝せざるなし。而して災害頻(しき)りに発し、死微あるべければ、唯天神地祇並びに三宝の冥助を願い身命を保たしめむ。(宇多天皇御事略)」

 と言葉を残されていますが、国の安泰(今日でいう世界の安泰)、人々の安寧を心から願う法皇の御心がここに拝察できます。

 「仁和(にんな)」とは、光孝天皇が定めた元号ですが、宇多法皇もその意を尊重し、寺号にあてられたわけで、我々真言宗御室派の仏教者にとっては極めて重要な言葉です。

意味について、先ず、「仁」という字。これは、儒教でいう「仁・義・礼・智・信」という人間が仰ぐべき「五常」諸徳の一番目。「慈しみ」とか「情け」という意味ですが、ここでの意味はそれだけに留まらず、仏教をこよなく御信仰された光孝天皇の御志を考慮すれば、仏教本来の「仁」の意、つまり「ほとけ」という意味が多分に含まれていると考えられます(『一如(御室青年教師会機関誌)』より「仁和の教風(一)(二)(三)」昭和51年・小田慈舟師の考察を参考)。「和」とは「調和する」、「和合する」という意味に疑いないわけで、つまり「仁和」とは、争いや災害の絶えないこの国および世界中の人々に、「仏の如く大調和に生きよ!」という二大尊師の大願でありましょう。

 今日の我が国は、経済発展により豊かになったとは表面だけのことで、「分断」に次ぐ「分断」により人心は荒れ、悲しみの多い社会となっています。権力者は自分達の目先の利益のために搾取と切り捨てを続け、政治家は「国際貢献のため」と平和憲法を変えては、「経済成長と環境のため」と核を拡散するという欺瞞を働こうとしています。日本の貧困率は世界第2位(相対的貧困率;所得が国民平均所得の半分以下の割合)で16%に達しています(OECDに基づく厚生労働省発表のデータ参照)。このままではさらに分断によるストレスが溜まり続けていきますが、最後に待っているのは「暴力」による社会のリセットしかありません。

このような時代であればこそ、真言宗御室派の仏教者は今一度、光孝天皇、宇多法皇はじめ歴代尊師の遺志を仰ぎ、「仁和なる社会」の実現の為、衆生救済、抜苦与楽の善行を修することが大事であろうかと、浅学非才ながら強く肝に銘じる次第であります。