10/4(金)「メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた!」

 

 

 

緊急告知です。

 

元東京電力社員として17年間にわたって原子炉の設計・制御に携わられた木村俊雄さんの講演会が当山で開かれることになりました。木村さんは、2000年末に東電を退社されていますが、3.11以前より、福島第一原発の津波による電源喪失について指摘をされていました。この度、東京電力が発表しているデータを解析され、一般メディアでは報道されない真実を話されます。

 

また、第2部は、木村さんと、環境や平和について多くの活動をされている田中優さん(http://www.tanakayu.com/)、主催者の自エネ組(http://jiene.net/)備前代表・大塚尚幹さんを交えての自給エネルギーについてのトーク。

 

また、三味線奏者・蛯名宇摩さんの津軽三味線演奏もあります。

 

皆さま、ぜひこの機会をお見逃しなく。

 

「メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた!」

福島原発事故の真実と電力自給の提案

と き 10月4日(金)13:30~16:30(受付13:00)

ところ 長泉寺 岡山市北区南方3-10-40 ℡086-223-7450

参加 無料

託児あり(申込必要・500円)

主催:自エネ組(自給エネルギーチーム)

共催:脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山/みどり岡山

 

◆駐車場はありますが、限りがありますので出来るだけ公共交通機関でお越し下さい。

◆託児ご希望の方は、長泉寺(086-223-7450)へお電話いただくか、メール(nonukesbnw@chosenji.net)でお申し込みください。【必要事項:お子様の名前、年齢、性別、備考(アレルギーなど)、保護者の氏名・携帯番号】

 

お彼岸まわり

9月20日より、檀信徒の皆さま方のお宅へ「お彼岸参り」におじゃましております。

 彼の岸とは向こう側の岸のこと。つまり仏さまの世界のことです。反対に、こっち側は「此岸(しがん)」といって、悩み苦しみの多き人間界のこと。できればちょっとでも楽になりたいですが、そのためには先ず、仏さまに手を合わすことが肝心です。つまり、「お彼岸」とは、こっち側(此岸)の者が仏道修行に励み、仏さまの世界(彼岸)に近づこうと努力をする期間のことですね。

お仏壇を綺麗にかざり、御墓参りをしましょう。

事前にお送りさせて頂いているおはがきにて、日程をご確認ください。

よろしくお願いします。

稲谷祐宣師十七回忌追懐会

9月18日、故・稲谷祐宣師(瀬戸内市・正通寺)の十七回忌に際し、その恩徳を偲び、当山にて追懐会(ついかいえ)が行われました。

稲谷祐宣師は、私の得度の戒師でもあり、大恩師です。小学生の頃、毎年の夏休みは正通寺に行き、祐宣師と盆行を歩きました。朝の四時、寝ている私の部屋のふすまがスパーン!と開き、「勤行じゃ!」と本堂に連れていかれては長い長い朝勤行をするのが日課で、私もイヤでイヤで仕方なかったのですが、今となってはとても懐かしい思い出です。

正座が辛くてモゾモゾしていると祐宣師が持っていた撞木が私の後頭部にドカーン!

本堂の天井が降って来たのかと思いました(笑)

 

祐宣師は、亡くなった今もその存在無量なる大阿闍梨で、特に、師の多くの著書は、真言宗にとって大変貴重な資料となっています。

当山名誉住職をはじめ多くの真言僧侶の方々が師を慕い、正通寺に通っていたそうですが、正通寺様の客殿が改築されるということもあり、今般、その方々が当山に集り、法要を奉修したわけです。

とても有難い時間を過ごさせて頂きました。

以下、光研名誉住職が読んだ『追懐文』です。

追懐文

 祐宣さん。私たちが大阿遮梨に仰ぎ、依止師と頼んだ浄心ご房祐宣和上。遷きて17年、茫々として歳過ぎ去り、蕭々と事態は新たなりゆきます。

 仏界は如何でありますか。彼岸にみる花と月、どう楽しんでいますか。

 人の此の世はもう大変です。あなたが危惧されたように、そのまんま天然自然は変容し、人類は存亡を問われつづけています。和上在りせば何と言葉を発し、祈祷の実を凝らしたもうでしょう。実に遺憾という他なし、が、わが心境であります。

 想い返せば生命在りし日、その学徳を慕い、密教の庭に遊んだこと。ご自坊の食卓を囲んでご夫人の饗応に甘えたり、陋巷を闊歩して気炎をあげたことなど、最早、二昔以前となりました。

 今や吾らも老いを加え、後進も激浪只ならぬ中に浮沈、憂悶を抱つばかり。まさに、

    一切有為法  如夢幻泡影

   如露亦如電  応作如是観

  一代の阿遮梨祐宣師。その本当を得たる生きざまは尚、わが胸のともしびとなりております。学恩を忘れたものではありません。而し乍ら、国政府は平和憲法9条を廃せんとし、殺生極まりない原子力発電に固執、無謀無慙そのもの。経済一辺倒、・・・・宗教の何ものなるか。

 われらは蟷螂の斧、一振するの恨念であります。やんぬるかな嗚呼。今宵、和上とは彼岸、此岸のちがいあり。中秋明月の輪円を観じ、想いを同じく致したく、理趣経一巻唱えまつれば、果たして出来ますでしょうか。

 世に、われは「希望」を見るものである。わたしが「希望」である、という生き方を貫ぬかんと念を凝らすものです。一座一興、追懐の言辞とす。

 祐宣さん、吾らを看守って下さい。明日を生きる若者に法倖恵みたまえ。

  

   長月18日           

   当山幻住   光研 敬白

 

 <参衆>

正通寺 祐慈

慈眼院 正憲

西の院 光雄

宗林寺 俊弘

松林寺 賢真

光明院 智光

長泉寺 光研

  同  龍門

追参 行願院 孝祥

未来エネルギー

9月12日(木)、「第2回脱原発結集」が臨済宗妙心寺派蔭凉寺にて開催されました。

脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山(事務局:当山)の主催で開かれた第2回目の今回は、自給エネルギーチーム(自エネ組)の備前代表・大塚尚幹さんを講師に迎え、「原発にたよらない生き方」をテーマに、地球にやさしい未来型エネルギーのお話を聞きました。

 

大塚さんは、福島県川内村でご家族と自給自足の生活をされていたところ、「3.11」が発生し、岡山へ避難をされました。その後、奥様の大塚愛さんを中心に「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ、岡山へ避難や移住をされる方の受け入れ活動や福島県内の子どもたちの保養プログラムを企画、運営されるほか、太陽光パネルなどを使って自給電源で暮らしの電気をまかなうことを提唱する「自給エネルギーチーム(自エネ組)」でご活躍。

今回も太陽光パネルを使って、自給電源システムの組み立て方(意外と簡単!!)や、その特性を学ばせていただきました。

写真は、今年の8月15日に当山で使用した太陽光パネルの様子です。

電気を自前のソーラーシステムで作ることができると、

①もちろんのことですが、エコです。

②費用が安くなります。(大手企業が出しているシステムよりグンと安いです)

③災害などで停電したときにとても役に立ちます。

個人的には、③の効能が魅力的です。

だって、災害時に停電がない!

たとえ瓦がパネルに落ちたりして壊れても、自分で仕組みがわかっていれば修理も可能!

これって、いざってときに人の命を救うかもしれないなぁ、なんて・・考えすぎでしょうか。

当山でも導入を検討しています。

 

大塚さんのエネルギーのワークショップが終わったあとは、蔭凉寺さまから大供交差点を経由し、岡山駅前まで「脱原発行進」。

「原発は仏教に反す」という幟を掲げて歩きました。倉敷市西坂にある一心念誦堂・佐伯隆快師の掛け声に続いて「原発をやめよう!いのちを守ろう!」とシュプレヒコール。

駅に着いた後は、ビックカメラ前で、全日本仏教会宣言文「原発によらない世界を求めて」が書かれたパンフレットを通行される方々に配布いたしました。

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来年(2014年)は岡山で「持続可能な発展のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」が行われますが、原発がある限り地球は持続不可能だと言わざるえません。

現在、人類は放射性物質の処理ができない状況にあります。原発を動かせば動かすほど放射性物質は産み出され、今やこの地球上のすべての生物を絶滅させてしまうほどの使用済み核燃料が精製されてきましたが、処理方法がない為、とりあえず青森県六ケ所村にて冷却貯蔵され、管理されている状況です。問題は、この使用済み核燃料の処理もできなければ、管理もできないということです。なぜなら、プルトニウムという放射性物質の半減期は100万年で、そのような長期にわたって保存管理ができる施設も、技術も、方法もありません。

地球は常に地殻変動していますが、100万年前の日本は今の位置にありません。二年前の東日本大震災のような大地震を無数に繰り返して来た結果、たまたま今はこの位置にあるということだけで、大地は大変動をしてきましたし、それはこれからも同じです。つまり、原発の安全性がどうだとか経済的にどうだとか、エネルギーが足りているとか足りていないとか、もちろんそのことも大事な話ですが、一番の問題は、原発がある限りどこかの時点で必ず地球生命の破滅が招かれてしまうということで、そのことがきちんと議論されなければいけません。

わたしは毎晩、我が子を寝かしつけますが、あの純真無垢な寝顔を見る度に、この子たちの未来にどうかそういった悲劇が起こらないで欲しいと願いながら、そのようなリスクと管理をこの子たちやその次の世代にまで渡してしまうことを大変申し訳なく思っています。原発は、私たち世代の一部の人達が自分たちの目先の利益のために、「今が良ければそれでいい」という極めて無責任な判断で、何が何でも推進しているがために3.11以降もなお存在しています。しかし、私たち自身もまた、それに対して何も言わず、見て見ぬふりをしてしまっては、未来に対する責任を果たしているとは言えません。

私たちは今、決断をしなければいけません。何よりの宝物である子どもたちの未来を守るために、私たち大人は責任を果たす時です。

皆様にはどうか「脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山」にご賛同いただき、ともに、原発をやめるための行動を取っていただきたく存じます。

 

次回は、11月12日(火)午後2時~ 於:蔭凉寺(岡山市北区中央町)

テーマは「岡山の放射能汚染~人形峠ウラン残土問題」

講師は土井淑平さんです。

第2回「脱原発結集」のお知らせ

第2回「脱原発結集(だつげんぱつけつじゅう)」が、9月12日(木)14:00より、臨済宗妙心寺派蔭凉寺(岡山市北区中央町10-28)様にて開催されます。

 

第2回目となる今回は、「自給エネルギーチーム(自エネ組)」http://jiene.net/備前代表の大塚尚幹さんを講師に迎え、エネルギーの未来を考えるとともに、ソーラー発電のワークショップを行います。

 大塚さんは、一級建築士のノウハウを活かし、ご家族で福島県川内村にて自給自足の生活をされていましたが、3.11東日本大震災・福島第一原発事故に遭われ、岡山へ避難。現在は、自然エネルギーによる生活を提唱され、各地で講演活動を行われるほか、奥様の大塚愛さんとともに「子ども未来・愛ネットワーク」http://kodomomirai.org/を立ち上げられ、岡山へ避難される方々の受け入れや、福島県の子どもたちの保養プログラムなどを企画運営されている方です。

ただ、今回の企画は、原子力の代替エネルギー案としてソーラー発電を勉強するわけではありません。

「原発はない方がいいけど、代替エネルギーはどうするの?」とよく聞かれますが、そもそも代替エネルギー云々の議論は、電力供給の意味では不要です。日本はすでに原子力に頼らなくても十分な余剰電力を有しています。 

今回は、未来に向けて、より地球にやさしい生き方を学ぶ機会にしたいと考えています。

 

ワークショップの後は、蔭凉寺様から岡山駅まで「原発は仏教に反す」とかかれた幟を掲げて、脱原発行進を行います。

 多くのご参加をお待ちしております。

 

福島第一原発放射能漏れ対策に命をかけて取り組まれている全ての方々に敬意を表して

合掌

 脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山

事務局 宮本龍門

 

仁和寺観音堂修復にあたり、開山法皇に想いを寄せる。

 我ら真言宗御室派の総本山仁和寺では、今年度より重要文化財である観音堂の修復工事が行われています。この観音堂は、私が僧侶となるための修行を終え、門跡猊下より伝法灌頂の印信をお授けいただいた思い入れのある御堂です。当山ではさっそく、特別義納金595,000円を奉納させて頂きました。皆さまにはどうかご理解をいただきたく、よろしくお願いします。

  仁和寺(にんなじ)は、第59代宇多天皇が仁和4年(888年)に御尊父、第58代光孝天皇の発願を継承、開創されたお寺です。以降、明治に到るまで、皇族の御方が門跡を歴任されたことから「旧御室(おむろ)御所」と呼ばれています。

 

 宇多天皇は、光孝天皇の第三子でありますが、仁和3年(887年)に先帝崩御の後を受けて即位。幼少のころから出家の御志をお持ちで、昌泰2年(899年)に東山椿峰円城寺・益信僧正について御出家、法皇となられました。この時の御年齢が今の私と同じほどであることには驚きます。

 「朕、誠に愚と雖も而も法にあらざれば行はず、道にあらざれば言はず、たとえ罪を犯すとも而も大過に及ばず、而して咎害(きゅうがい)あれば国内の神祇に憑(たの)み奉て今に怠るなし。況んや元来三宝に帰依し旦夕に敬拝せざるなし。而して災害頻(しき)りに発し、死微あるべければ、唯天神地祇並びに三宝の冥助を願い身命を保たしめむ。(宇多天皇御事略)」

 と言葉を残されていますが、国の安泰(今日でいう世界の安泰)、人々の安寧を心から願う法皇の御心がここに拝察できます。

 「仁和(にんな)」とは、光孝天皇が定めた元号ですが、宇多法皇もその意を尊重し、寺号にあてられたわけで、我々真言宗御室派の仏教者にとっては極めて重要な言葉です。

意味について、先ず、「仁」という字。これは、儒教でいう「仁・義・礼・智・信」という人間が仰ぐべき「五常」諸徳の一番目。「慈しみ」とか「情け」という意味ですが、ここでの意味はそれだけに留まらず、仏教をこよなく御信仰された光孝天皇の御志を考慮すれば、仏教本来の「仁」の意、つまり「ほとけ」という意味が多分に含まれていると考えられます(『一如(御室青年教師会機関誌)』より「仁和の教風(一)(二)(三)」昭和51年・小田慈舟師の考察を参考)。「和」とは「調和する」、「和合する」という意味に疑いないわけで、つまり「仁和」とは、争いや災害の絶えないこの国および世界中の人々に、「仏の如く大調和に生きよ!」という二大尊師の大願でありましょう。

 今日の我が国は、経済発展により豊かになったとは表面だけのことで、「分断」に次ぐ「分断」により人心は荒れ、悲しみの多い社会となっています。権力者は自分達の目先の利益のために搾取と切り捨てを続け、政治家は「国際貢献のため」と平和憲法を変えては、「経済成長と環境のため」と核を拡散するという欺瞞を働こうとしています。日本の貧困率は世界第2位(相対的貧困率;所得が国民平均所得の半分以下の割合)で16%に達しています(OECDに基づく厚生労働省発表のデータ参照)。このままではさらに分断によるストレスが溜まり続けていきますが、最後に待っているのは「暴力」による社会のリセットしかありません。

このような時代であればこそ、真言宗御室派の仏教者は今一度、光孝天皇、宇多法皇はじめ歴代尊師の遺志を仰ぎ、「仁和なる社会」の実現の為、衆生救済、抜苦与楽の善行を修することが大事であろうかと、浅学非才ながら強く肝に銘じる次第であります。