7月10日(水)午後2時から、臨済宗妙心寺派蔭凉寺(北区中央町)さんにて、表題の催しが行われます。
「原発は仏教に反す」
このメッセージを訴えるためです。
ご協力ください。
合掌
6月17日、サンピーチOKAYAMAにて、インド仏教界最高指導者・佐々井秀嶺師(インド名:Arya Nagarjuna Syurei Sasai)の講演会を開催しました。主催は、同和問題に取り組む岡山県宗教教団連絡会議(岡山県同宗連)、共催には岡山県仏教会。約80名のご来場をいただき、盛況に終わりました。ご協力くださいました御各位には、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
佐々井師は、1935年岡山県新見市で生まれ、ひたすらに悩み苦しみ、もがきのたうちまわりながら青年期を過ごし、東京は真言宗高尾山薬王院にて出家。強烈な個性と求道の精神をもって渡印したのが1966年。以来、インド民衆に寄り添い続け、カースト最下層・不可触民解放に捧げる人生。現在、1億を超えるといわれるインド仏教徒の自立、成長を成し遂げられて来られました。
その活動はまさに「革命」と言って差支えない偉業であろうかと思います。閉会の辞にて、前岡山県仏教会会長の漆間宣隆御上人(浄土宗浄土院ご住職)が「規格外の僧侶」と表現されましたが、それほどまでの圧倒的な存在感。そう簡単に真似できるものではありませんし、もう二度とこのような仏教者は現れないかもしれません。
ただ、私が少し思ったのは「この佐々井師のお話が、どれほど日本人、日本仏教徒の心に届くのだろう」ということ。
インドの大地で叫び続けてきた78歳のお声は、相当にしわ嗄れておられます。初めての人は聞きとるだけでも難しい。命を懸けて戦ってこられた証でもありますが、かすれ切ったそのお声は、インド仏教徒の「あまりにも日本の常識からはかけ離れた状態」を象徴しているかのようです。
師があまりにも遠い境地に立っておられるがために、数時間の話を聞くだけでは私たちにはわかるわけがない。初めての人は敬遠してしまうかもしれない。
なんだかそんな不安を感じました。
この仏縁に恵まれたことを感謝いたすとともに、皆さまにはどうか、佐々井師をもっともっと知っていただきたいと思います。
「仏教の何たるか」が、そこにあります。
6月8日、長泉寺本堂にて岡山宗教者九条の会2013年度総会が開催されました。
現在、96条の改定が議論されていますが、その先に平和憲法9条の改定だけでなく、基本的人権要項の改定、国家主義、軍拡へ広がりが隠れています。
憲法9条はしばしば「アメリカに押し付けられたもの」と言われますが、それは違います。それは、時の幣原内閣総理大臣や憲法制定委員長であった芦田均氏の「非武装・平和」への熱意を込めた言葉をみればわかりますが、もう二度と戦争をしたくないという当時の日本人の決意であり、制定された過程だけで判断するべきものではありません。
また戦後68年間、日本は平和を保って来ましたが、それを日米安保条約やアメリカの核抑止力のおかげというのは大きな勘違いです。日本が1945年以降平和を保って来られたのは、平和憲法9条で「戦争をしない」と高らかに宣言し、朝鮮戦争にもベトナム戦争にも加担せず、常に武力の行使をせずに来たからこそ、どの国からも恨まれることなく、むしろ尊敬を集めてきたからです。そういう意味では日本の安全保障のためにも、9条を護ることは大切です。
憲法九条は、日本という国にとっての「不殺生戒」に他なりません。日本の仏教徒は今こそ平和憲法9条を護らなければなりません。左翼とか右翼とかでなく、それが「仏の教え」なのです。
皆さまもどうか仏の教えに則して考えてみて下さい。
私は、岡山県同宗連(同和問題にとりくむ岡山県宗教教団連絡会議)の総務部会で近年お手伝いをさせていただいていますが、その同宗連が今年で結成30周年を迎えました。
6月7日行われた第30回研修会では、1963年に埼玉県狭山市で被差別部落出身の青年が少女を強姦した上に殺してしまったという「狭山事件」で、現在もなお冤罪と戦っている石川一雄さんを講師にお迎えし、50年におよぶ不当逮捕についてお話を伺いました。
私も昨年、狭山市に行って事件が起こった現地を歩き、検察の主張との食い違いを確認するとともに、検察庁、最高裁を訪れ、キチンとした証拠の開示、再審を行っていただくように訴えてきました。どうか石川さんの無罪が証明され、この世から少しでも差別、冤罪が減ることを願っています。
6月4日、現在1億を超えるといわれるインド仏教徒を導いておられる佐々井秀嶺師が御来山されました。
佐々井師は、平成21年5月に行われた長泉寺開山500周年記念法会のときに44年ぶりに帰国され、「もう二度と日本には戻らない」といわれインドに帰られましたが、2011年3月11日東日本大震災が発生。いてもたってもいられないと、もう一度帰国されたのが同年の6月。以来、同じ時期に毎年帰られています。
今回は、6月17日(月)に岡山県同宗連30周年記念講演会@サンピーチ岡山、また21日(金)長野県善光寺にて説法会でお話されるとともに、全国の支援者の方々へご自身の活動やインドの現状報告をされてまわられています。
皆さん、善光寺はちょっと遠いですが、6月17日のサンピーチ岡山での講演会にはぜひお足をお運び下さい。
できればその前に『破天~インド仏教徒の頂点に立つ日本人~』(山際素男著・光文社)http://www.amazon.co.jp/dp/4334034772#_を読んで、佐々井師を知ってください。当山にも置いてありますので、よろしくお願いします。貸し出しもします!
6月2日午前10時半より、長泉寺第25世秀昭和尚の本葬儀が、玉野市北方・中蔵院本堂にて執り行われました。
皆さまにはご多忙中にも拘わらず、御鄭重なるご弔問、ご香資を賜わり、有難く御礼申し上げます。
導師 東嶽院龍乗院住職 多田龍昭僧正
法嗣 真福山中蔵院副住職 浅浪康紹僧正
一、入堂
一、三礼
一、奠供
一、理趣経
一、焼香
一、歎徳文
一、不動讃
一、弔辞
高野山金剛講中国連合本部長 津守密乗僧正
葬儀委員長 中蔵院総代長 国西一紀氏
一、御詠歌『追弔和讃』奉詠
一、後讃
一、弔電披露
一、諸真言・回向
一、謝辞
親族代表 宮本光研(長泉寺名誉住職)
中蔵院総代 藤原正男氏
以上
大僧都 宮本秀昭 和尚 略歴
昭和9年3月24日生 父・宮本宥中 母・千鶴の長男
高野山大学卒業
昭和31年 小豆島西光寺にて得度(師僧・宥玄大僧正)
高野山金剛峯寺より度諜拝受
西光寺道場にて四度加行成満
高野山にて伝法潅頂入壇
昭和35年 中蔵院住職就任
昭和37年 長泉寺住職就任(昭和52年退任)
福寿院、瑞泉院、明王院を歴住
高野山金剛講 岡山東部連合支部総監
高野山金剛講 山陽地方本部総監(平成22年まで在住)
人権擁護委員(昭和59年~平成18年)
人権擁護委員、法務大臣表彰受賞
平成25年5月30日 世寿80歳(法﨟58歳)にて遷化
当山第25世住職宮本秀昭師(80才・中蔵院現住職)が、5月30日午前、ご遷化なされました。
就いては、下記要項にて葬送の儀が執り行われます。
記
通夜 6月1日(土)午後6時より
葬儀 6月2日(日)午前10時半より
於 中蔵院本堂(玉野市北方1470)
法嗣(喪主) 浅浪康紹師
宮本秀昭師は、23世秀禅師、24世宥中師の亡き後、昭和37年より15年にわたり、当山第25世住職として護寺伝法に勤められました。特には、高野山金剛流ご詠歌への貢献は多大であり、最盛期には高野山金剛講山陽地方本部総監として300名近い講員を率いられました。また、各地霊場巡拝も盛んに行われ、檀信徒教化に勤められました。
5月5日~8日まで万灯万華供養会が行われ、8日結願には岡山市内結衆寺院様ご参集の下「理趣三昧法会」が行われました。
10:30 献茶式(長泉寺表千家茶道部・大熊峯子さん)、献花(長泉寺御室流華道教室・宮本依子さん)
10:40 高野山金剛流ご詠歌『万灯万華和讃』、『いろはうた』、『長泉寺本尊薬師如来』、『金剛』奉納(長泉寺支部ご詠歌会)
11:00 和讃『熙怡微咲(きいびしょう)』、「ひともし花供養』奉納(長泉寺和讃会ゴスペラーズ)
11:10 高野山宗教舞踊『万灯万華和讃』奉納(森本八重子さん、西川昌子さん)
11:20 記念講話「見えないから見えたもの~私の歩んだ道~」
講師:竹内昌彦先生(岡山県立盲学校)
13:15 万灯万華供養会「本尊祭」結願法要「理趣三昧法会」
おかげさまを持ちまして、無魔成満することが出来ました。本当に祈りに祈った日々でした。有難かったです。どうか、ご本尊薬師瑠璃光如来さまの御医光が広がり、人心を助け、この世平和でありますよう。
皆さま、ご協賛ありがとうございました。
合掌九拝
龍門
5月5日より、表題の法会が始まります。
一年に一度だけ、5日~8日の間、ご本尊さまが御開扉され、御姿を拝めます。
本堂は檀信徒皆さま各家精霊様の御戒名が奉書された燈籠でいろどられ、お花が一つずつお供えされています。
三日三晩、朝(6:00)、昼(13:00)、晩(18:30)と本堂で法要が営まれる他、特に晩の法要では「法話」があったり、「仏讃歌」や「御詠歌」の奉納もあります。
とにかくみんなで仏様を拝み、ひたすらに願いを込めるのです。
今日はその準備でした。
世話人の皆さまがお手伝いくださるので、大変助かります!
あっという間に本堂が大変身。
後は、本番に祈りを捧げるだけです。
どうか心にともしびを。世に平和を。
皆さまのご参拝をお待ちしております。
合掌