長島愛生園・邑久光明園で思ったこと

 10月7日、ハンセン病療養施設・長島愛生園と邑久光明園にて、同和問題にとりくむ岡山県宗教教団連絡会議(岡山県同宗連)主催の研修会が行われ、わたしも参加してきました。
ハンセン病は、1873年、ノルウェーの医師・アルマウェル・ハンセンによって「らい菌」が発見され、師の名前から「ハンセン病」と呼ばれる病気。当時は不治の病といわれていましたが、1943年「プロミン」という特効薬がアメリカで確認され、日本でも大戦後は各療養所で使用されたそうです。今ではハンセン病は確実に治癒する病気となっています。らい菌の病原菌は非常に弱く、大量の菌と長期にわたって接触しなければ感染せず、またたとえ感染しても発病することは稀だそうです。実際にハンセン病療養施設での医師や職員に感染した人はいません。もちろん遺伝もありません。ヨーロッパではそのことが早くから確認され、1923年にはハンセン病患者に絶対的隔離は必要なく、たとえば風邪の患者と同様に寝室はわけるとか、いわゆる「相対的隔離」で良い、と、国によって認定されました。
  ところが日本では、平成8(1996)年にいたるまで、ハンセン病を患った経験のある者は療養所で隔離せよ!という法律「らい予防法」が存在しました。国際らい学会やWHO専門委員会が幾度も日本に勧告したのにも関わらずです。
その間の人権侵害たるや言語を絶するものがあります。隔離政策なので、当然外出は禁止、家族にも会えない。また、療養所内で恋愛をし結婚したとしも、男性は断種、女性は妊娠しても強制中絶、もし子供が産まれても殺される
日本にあるハンセン病療養所から、全部で114体のホルマリン浸け胎児が見つかっています。1980年頃までは、亡くなった方の90%が強制的に病理解剖標本としてホルマリン浸けにさせられていました。
「もういいかい 骨になっても まぁだだよ」と邑久光明園の中山秋夫さんの詩が残っていますが、もはや人間ではなく、菌として、国辱病として扱われたわけです。
強い悲しみとともに憤りを覚えざるを得ません。
 でも、なぜヨーロッパと日本で100年も差があるのか、ということが問題です。 そこに現代にも当てはまる大問題があると思います。
 ハンセン病の場合、もちろん様々な理由はありますが、一番は人々の「無関心」と「忌避意識」でした。 世間が風評に左右されず事実を事実としてきちっと評価、判断しておけば、苦しみは格段に減っていたでしょう。
先日、岡山では市長選挙がありました。投票率は33%。どの候補が云々とういうより、この数字が残念です。
今、「脱原発」とか「九条」、「慰安婦問題」、「秘密保全法」などというと、圧倒的多数が無関心。あるいは、「なんとなく関わりたくない」というようなアレルギーにも似た忌避状態。
あと、これは深慮したあげくにふと思ったことですが、そういった問題に関心を抱き、取り組んでいる人たちにも問題がないわけではない(わたしも含め)。
何をするにしても「他に求めるな。自分がやれ。」との考えもありますが、仏教的立場から言うと、「内外(ないげ・自己と他)に供養をするべき」で、自分も戒め精進しながら、他にもきちっと言うべきことは言うべき。そもそも「説教」とはそういうものですし、「自利利他」が仏教徒の行動の規範です。
  「他に求める」ことは責任を伴います。批判も覚悟しなければならない。一方、「他に求めない」ことは「自分がよければそれでいい」という状態に陥りやしないか。
日本において、ハンセン病を患った方が、完治したのにも関わらず、人権を奪われ、出口のない悩みにさいなまれ、死んでもなお命の尊厳を奪われたこと。ヨーロッパでは100年前に認められていたことが、日本ではつい最近まで認められずに来たこと。その問題の根本にあるもの、それは決してハンセン病だけでのものではないと思います。
「無関心」と「忌避意識」
また、「実践のあるべき姿」
深い勉強ができ、ありがたかったです。

福島原発事故の真実とエネルギー自給の提案

10月4日(金)、「メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた!福島原発事故の真実と電力自給の提案」が、「自エネ組」主催、「脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山」・「みどり岡山」共催で、当山において開かれました。

元東京電力社員で福島第一原子力発電所でも炉心の設計・制御に携わられた木村俊雄さんを講師にお招きし、福島第一原発が2011年3月11日にいかにメルトダウンに至ったか、その経緯を東京電力発表の資料を基に詳しく解説していただきました。

「東電発表の1号機のメルトダウンの時刻は3月11日21時ごろであるが、同日17時19分に非常用復水器に行こうとした運転員が放射能測定器が高い値を示したため原子炉建屋内に入れなかったという事実から考えると、その前に格納容器が破損し、建屋内に放射能が充満していたことを否めない。これは、東電の事故進展評価が、津波来襲を起点に安全機能の喪失を想定しているために生じた解析とミスマッチ。また、過渡現象記録装置データと東電報告書から解析すると、地震発生1分30秒前後から安全機能喪失の可能性が高く、それは配管の破損により原子炉冷却材が漏えいによるものである。こうして冷却材の循環機能が停止し、事故が重大化した。」

以上、要約のみですが、1時間にわたって実に詳しくお話くださいました。

続いて、主催者の大塚尚幹さんと田中優さんを交えての電力自給についてのトーク。

この3人は、自エネ組(自給エネルギーチーム)のメンバーで、家の電気を自分たちで作って賄ってしまうという生活をされています。

田中優さんは、2012年末に岡山に移住、自宅と電力会社との電線をカットし、電力会社に頼らない太陽光パネルと独立電源システムだけの生活をされており、現在「未来バンク事業組合」「天然住宅バンク」理事長、「日本国際ボランティアセンター」理事、「ap bank」監事、「一般社団法人 天然住宅」共同代表など、多岐にわたってご活躍の方です。

「日本人の多くが評論家になってしまった気がする。必要なのは実践。初期投資が高ければわたしが携わっているバンクで融資もできる。商用電源から自給電源へ切り替えよう!」と、田中氏。

そして、津軽三味線奏者の蛯名宇摩さんによる演奏で、商用電源と自給電源との音質の違いのチェック。自給電源には商用電源にあるノイズが含まれないため、とてもクリーンな音を出すことができるのでした。

気づけば境内に溢れんばかりの車が・・・。実に80名以上がご来場くださり、本堂には入りきれず回廊で聞いていた方も多数。(すみませんでした)

未来に希望の持てる素晴らしい会になり、本当にありがたかったです。

 

「原発は仏教に反す」

これからもがんばっていこうと思います。

10/4(金)「メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた!」

 

 

 

緊急告知です。

 

元東京電力社員として17年間にわたって原子炉の設計・制御に携わられた木村俊雄さんの講演会が当山で開かれることになりました。木村さんは、2000年末に東電を退社されていますが、3.11以前より、福島第一原発の津波による電源喪失について指摘をされていました。この度、東京電力が発表しているデータを解析され、一般メディアでは報道されない真実を話されます。

 

また、第2部は、木村さんと、環境や平和について多くの活動をされている田中優さん(http://www.tanakayu.com/)、主催者の自エネ組(http://jiene.net/)備前代表・大塚尚幹さんを交えての自給エネルギーについてのトーク。

 

また、三味線奏者・蛯名宇摩さんの津軽三味線演奏もあります。

 

皆さま、ぜひこの機会をお見逃しなく。

 

「メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた!」

福島原発事故の真実と電力自給の提案

と き 10月4日(金)13:30~16:30(受付13:00)

ところ 長泉寺 岡山市北区南方3-10-40 ℡086-223-7450

参加 無料

託児あり(申込必要・500円)

主催:自エネ組(自給エネルギーチーム)

共催:脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山/みどり岡山

 

◆駐車場はありますが、限りがありますので出来るだけ公共交通機関でお越し下さい。

◆託児ご希望の方は、長泉寺(086-223-7450)へお電話いただくか、メール(nonukesbnw@chosenji.net)でお申し込みください。【必要事項:お子様の名前、年齢、性別、備考(アレルギーなど)、保護者の氏名・携帯番号】

 

お彼岸まわり

9月20日より、檀信徒の皆さま方のお宅へ「お彼岸参り」におじゃましております。

 彼の岸とは向こう側の岸のこと。つまり仏さまの世界のことです。反対に、こっち側は「此岸(しがん)」といって、悩み苦しみの多き人間界のこと。できればちょっとでも楽になりたいですが、そのためには先ず、仏さまに手を合わすことが肝心です。つまり、「お彼岸」とは、こっち側(此岸)の者が仏道修行に励み、仏さまの世界(彼岸)に近づこうと努力をする期間のことですね。

お仏壇を綺麗にかざり、御墓参りをしましょう。

事前にお送りさせて頂いているおはがきにて、日程をご確認ください。

よろしくお願いします。

稲谷祐宣師十七回忌追懐会

9月18日、故・稲谷祐宣師(瀬戸内市・正通寺)の十七回忌に際し、その恩徳を偲び、当山にて追懐会(ついかいえ)が行われました。

稲谷祐宣師は、私の得度の戒師でもあり、大恩師です。小学生の頃、毎年の夏休みは正通寺に行き、祐宣師と盆行を歩きました。朝の四時、寝ている私の部屋のふすまがスパーン!と開き、「勤行じゃ!」と本堂に連れていかれては長い長い朝勤行をするのが日課で、私もイヤでイヤで仕方なかったのですが、今となってはとても懐かしい思い出です。

正座が辛くてモゾモゾしていると祐宣師が持っていた撞木が私の後頭部にドカーン!

本堂の天井が降って来たのかと思いました(笑)

 

祐宣師は、亡くなった今もその存在無量なる大阿闍梨で、特に、師の多くの著書は、真言宗にとって大変貴重な資料となっています。

当山名誉住職をはじめ多くの真言僧侶の方々が師を慕い、正通寺に通っていたそうですが、正通寺様の客殿が改築されるということもあり、今般、その方々が当山に集り、法要を奉修したわけです。

とても有難い時間を過ごさせて頂きました。

以下、光研名誉住職が読んだ『追懐文』です。

追懐文

 祐宣さん。私たちが大阿遮梨に仰ぎ、依止師と頼んだ浄心ご房祐宣和上。遷きて17年、茫々として歳過ぎ去り、蕭々と事態は新たなりゆきます。

 仏界は如何でありますか。彼岸にみる花と月、どう楽しんでいますか。

 人の此の世はもう大変です。あなたが危惧されたように、そのまんま天然自然は変容し、人類は存亡を問われつづけています。和上在りせば何と言葉を発し、祈祷の実を凝らしたもうでしょう。実に遺憾という他なし、が、わが心境であります。

 想い返せば生命在りし日、その学徳を慕い、密教の庭に遊んだこと。ご自坊の食卓を囲んでご夫人の饗応に甘えたり、陋巷を闊歩して気炎をあげたことなど、最早、二昔以前となりました。

 今や吾らも老いを加え、後進も激浪只ならぬ中に浮沈、憂悶を抱つばかり。まさに、

    一切有為法  如夢幻泡影

   如露亦如電  応作如是観

  一代の阿遮梨祐宣師。その本当を得たる生きざまは尚、わが胸のともしびとなりております。学恩を忘れたものではありません。而し乍ら、国政府は平和憲法9条を廃せんとし、殺生極まりない原子力発電に固執、無謀無慙そのもの。経済一辺倒、・・・・宗教の何ものなるか。

 われらは蟷螂の斧、一振するの恨念であります。やんぬるかな嗚呼。今宵、和上とは彼岸、此岸のちがいあり。中秋明月の輪円を観じ、想いを同じく致したく、理趣経一巻唱えまつれば、果たして出来ますでしょうか。

 世に、われは「希望」を見るものである。わたしが「希望」である、という生き方を貫ぬかんと念を凝らすものです。一座一興、追懐の言辞とす。

 祐宣さん、吾らを看守って下さい。明日を生きる若者に法倖恵みたまえ。

  

   長月18日           

   当山幻住   光研 敬白

 

 <参衆>

正通寺 祐慈

慈眼院 正憲

西の院 光雄

宗林寺 俊弘

松林寺 賢真

光明院 智光

長泉寺 光研

  同  龍門

追参 行願院 孝祥

未来エネルギー

9月12日(木)、「第2回脱原発結集」が臨済宗妙心寺派蔭凉寺にて開催されました。

脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山(事務局:当山)の主催で開かれた第2回目の今回は、自給エネルギーチーム(自エネ組)の備前代表・大塚尚幹さんを講師に迎え、「原発にたよらない生き方」をテーマに、地球にやさしい未来型エネルギーのお話を聞きました。

 

大塚さんは、福島県川内村でご家族と自給自足の生活をされていたところ、「3.11」が発生し、岡山へ避難をされました。その後、奥様の大塚愛さんを中心に「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ、岡山へ避難や移住をされる方の受け入れ活動や福島県内の子どもたちの保養プログラムを企画、運営されるほか、太陽光パネルなどを使って自給電源で暮らしの電気をまかなうことを提唱する「自給エネルギーチーム(自エネ組)」でご活躍。

今回も太陽光パネルを使って、自給電源システムの組み立て方(意外と簡単!!)や、その特性を学ばせていただきました。

写真は、今年の8月15日に当山で使用した太陽光パネルの様子です。

電気を自前のソーラーシステムで作ることができると、

①もちろんのことですが、エコです。

②費用が安くなります。(大手企業が出しているシステムよりグンと安いです)

③災害などで停電したときにとても役に立ちます。

個人的には、③の効能が魅力的です。

だって、災害時に停電がない!

たとえ瓦がパネルに落ちたりして壊れても、自分で仕組みがわかっていれば修理も可能!

これって、いざってときに人の命を救うかもしれないなぁ、なんて・・考えすぎでしょうか。

当山でも導入を検討しています。

 

大塚さんのエネルギーのワークショップが終わったあとは、蔭凉寺さまから大供交差点を経由し、岡山駅前まで「脱原発行進」。

「原発は仏教に反す」という幟を掲げて歩きました。倉敷市西坂にある一心念誦堂・佐伯隆快師の掛け声に続いて「原発をやめよう!いのちを守ろう!」とシュプレヒコール。

駅に着いた後は、ビックカメラ前で、全日本仏教会宣言文「原発によらない世界を求めて」が書かれたパンフレットを通行される方々に配布いたしました。

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来年(2014年)は岡山で「持続可能な発展のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」が行われますが、原発がある限り地球は持続不可能だと言わざるえません。

現在、人類は放射性物質の処理ができない状況にあります。原発を動かせば動かすほど放射性物質は産み出され、今やこの地球上のすべての生物を絶滅させてしまうほどの使用済み核燃料が精製されてきましたが、処理方法がない為、とりあえず青森県六ケ所村にて冷却貯蔵され、管理されている状況です。問題は、この使用済み核燃料の処理もできなければ、管理もできないということです。なぜなら、プルトニウムという放射性物質の半減期は100万年で、そのような長期にわたって保存管理ができる施設も、技術も、方法もありません。

地球は常に地殻変動していますが、100万年前の日本は今の位置にありません。二年前の東日本大震災のような大地震を無数に繰り返して来た結果、たまたま今はこの位置にあるということだけで、大地は大変動をしてきましたし、それはこれからも同じです。つまり、原発の安全性がどうだとか経済的にどうだとか、エネルギーが足りているとか足りていないとか、もちろんそのことも大事な話ですが、一番の問題は、原発がある限りどこかの時点で必ず地球生命の破滅が招かれてしまうということで、そのことがきちんと議論されなければいけません。

わたしは毎晩、我が子を寝かしつけますが、あの純真無垢な寝顔を見る度に、この子たちの未来にどうかそういった悲劇が起こらないで欲しいと願いながら、そのようなリスクと管理をこの子たちやその次の世代にまで渡してしまうことを大変申し訳なく思っています。原発は、私たち世代の一部の人達が自分たちの目先の利益のために、「今が良ければそれでいい」という極めて無責任な判断で、何が何でも推進しているがために3.11以降もなお存在しています。しかし、私たち自身もまた、それに対して何も言わず、見て見ぬふりをしてしまっては、未来に対する責任を果たしているとは言えません。

私たちは今、決断をしなければいけません。何よりの宝物である子どもたちの未来を守るために、私たち大人は責任を果たす時です。

皆様にはどうか「脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山」にご賛同いただき、ともに、原発をやめるための行動を取っていただきたく存じます。

 

次回は、11月12日(火)午後2時~ 於:蔭凉寺(岡山市北区中央町)

テーマは「岡山の放射能汚染~人形峠ウラン残土問題」

講師は土井淑平さんです。

第2回「脱原発結集」のお知らせ

第2回「脱原発結集(だつげんぱつけつじゅう)」が、9月12日(木)14:00より、臨済宗妙心寺派蔭凉寺(岡山市北区中央町10-28)様にて開催されます。

 

第2回目となる今回は、「自給エネルギーチーム(自エネ組)」http://jiene.net/備前代表の大塚尚幹さんを講師に迎え、エネルギーの未来を考えるとともに、ソーラー発電のワークショップを行います。

 大塚さんは、一級建築士のノウハウを活かし、ご家族で福島県川内村にて自給自足の生活をされていましたが、3.11東日本大震災・福島第一原発事故に遭われ、岡山へ避難。現在は、自然エネルギーによる生活を提唱され、各地で講演活動を行われるほか、奥様の大塚愛さんとともに「子ども未来・愛ネットワーク」http://kodomomirai.org/を立ち上げられ、岡山へ避難される方々の受け入れや、福島県の子どもたちの保養プログラムなどを企画運営されている方です。

ただ、今回の企画は、原子力の代替エネルギー案としてソーラー発電を勉強するわけではありません。

「原発はない方がいいけど、代替エネルギーはどうするの?」とよく聞かれますが、そもそも代替エネルギー云々の議論は、電力供給の意味では不要です。日本はすでに原子力に頼らなくても十分な余剰電力を有しています。 

今回は、未来に向けて、より地球にやさしい生き方を学ぶ機会にしたいと考えています。

 

ワークショップの後は、蔭凉寺様から岡山駅まで「原発は仏教に反す」とかかれた幟を掲げて、脱原発行進を行います。

 多くのご参加をお待ちしております。

 

福島第一原発放射能漏れ対策に命をかけて取り組まれている全ての方々に敬意を表して

合掌

 脱原発をめざす仏教者ネットワーク岡山

事務局 宮本龍門

 

仁和寺観音堂修復にあたり、開山法皇に想いを寄せる。

 我ら真言宗御室派の総本山仁和寺では、今年度より重要文化財である観音堂の修復工事が行われています。この観音堂は、私が僧侶となるための修行を終え、門跡猊下より伝法灌頂の印信をお授けいただいた思い入れのある御堂です。当山ではさっそく、特別義納金595,000円を奉納させて頂きました。皆さまにはどうかご理解をいただきたく、よろしくお願いします。

  仁和寺(にんなじ)は、第59代宇多天皇が仁和4年(888年)に御尊父、第58代光孝天皇の発願を継承、開創されたお寺です。以降、明治に到るまで、皇族の御方が門跡を歴任されたことから「旧御室(おむろ)御所」と呼ばれています。

 

 宇多天皇は、光孝天皇の第三子でありますが、仁和3年(887年)に先帝崩御の後を受けて即位。幼少のころから出家の御志をお持ちで、昌泰2年(899年)に東山椿峰円城寺・益信僧正について御出家、法皇となられました。この時の御年齢が今の私と同じほどであることには驚きます。

 「朕、誠に愚と雖も而も法にあらざれば行はず、道にあらざれば言はず、たとえ罪を犯すとも而も大過に及ばず、而して咎害(きゅうがい)あれば国内の神祇に憑(たの)み奉て今に怠るなし。況んや元来三宝に帰依し旦夕に敬拝せざるなし。而して災害頻(しき)りに発し、死微あるべければ、唯天神地祇並びに三宝の冥助を願い身命を保たしめむ。(宇多天皇御事略)」

 と言葉を残されていますが、国の安泰(今日でいう世界の安泰)、人々の安寧を心から願う法皇の御心がここに拝察できます。

 「仁和(にんな)」とは、光孝天皇が定めた元号ですが、宇多法皇もその意を尊重し、寺号にあてられたわけで、我々真言宗御室派の仏教者にとっては極めて重要な言葉です。

意味について、先ず、「仁」という字。これは、儒教でいう「仁・義・礼・智・信」という人間が仰ぐべき「五常」諸徳の一番目。「慈しみ」とか「情け」という意味ですが、ここでの意味はそれだけに留まらず、仏教をこよなく御信仰された光孝天皇の御志を考慮すれば、仏教本来の「仁」の意、つまり「ほとけ」という意味が多分に含まれていると考えられます(『一如(御室青年教師会機関誌)』より「仁和の教風(一)(二)(三)」昭和51年・小田慈舟師の考察を参考)。「和」とは「調和する」、「和合する」という意味に疑いないわけで、つまり「仁和」とは、争いや災害の絶えないこの国および世界中の人々に、「仏の如く大調和に生きよ!」という二大尊師の大願でありましょう。

 今日の我が国は、経済発展により豊かになったとは表面だけのことで、「分断」に次ぐ「分断」により人心は荒れ、悲しみの多い社会となっています。権力者は自分達の目先の利益のために搾取と切り捨てを続け、政治家は「国際貢献のため」と平和憲法を変えては、「経済成長と環境のため」と核を拡散するという欺瞞を働こうとしています。日本の貧困率は世界第2位(相対的貧困率;所得が国民平均所得の半分以下の割合)で16%に達しています(OECDに基づく厚生労働省発表のデータ参照)。このままではさらに分断によるストレスが溜まり続けていきますが、最後に待っているのは「暴力」による社会のリセットしかありません。

このような時代であればこそ、真言宗御室派の仏教者は今一度、光孝天皇、宇多法皇はじめ歴代尊師の遺志を仰ぎ、「仁和なる社会」の実現の為、衆生救済、抜苦与楽の善行を修することが大事であろうかと、浅学非才ながら強く肝に銘じる次第であります。

2013年「おせがき行」

8月25日(日)、我々長泉寺一行(67名)は、各家過去精霊の菩提、並びに、ご先祖の倍増法楽を祈るとともに、三界六道有無両縁の万霊に回向をするために、愛媛県松山市「四国霊場第51番札所・石手寺」様を参拝し、同寺不動堂にて「せがき供養法要」を行いました。

雨のため、石手寺様不動堂内にて奉修。

石手寺御住職・加藤俊生師は、数年前に広島市「世界平和祈念大聖堂」にて行われた憲法九条を護る集会でご一緒させてもらって以来。再会できたこと、また、参加者の方々に法話をして頂いたこと、大変嬉しく思います。

加藤師は、「身・口・意」つまり、行動と言葉と祈り(心)が一体となっておられる数少ない僧侶のお一人で、個人的にはずいぶん前から尊敬していた方です。一体どこにそんな時間があるのか不思議になるくらい平和活動を実践されておられ、さらには2年前の「東日本大震災」における被災者の方々や、原発事故によって受難されている方々の支援も多く手がけられています。(詳しくは石手寺様ホームページにて⇒http://nehan.net/

この度お話下さったことは、仏陀となられる前のお釈迦様が、シャカ族の王子として、一族の生き残りをかけた戦いに出たときの言葉について。

「武器を手にし敵を討とうとした。しかし、剣を振り下ろそうとしたとき恐怖に襲われた。人を殺すことはできない。そしてそれまで当り前と思っていた世界は変容し、それとは異なる世界が見えてきた。私たち人間は、生存競争に苦しみ、敵対し苦しみあっている・・・。

そのときだった。私に見えない矢が突き刺さった。欲望という名の矢である。私たちは様々な世界に苦しみからの脱出を求めたが、実はその原因は私たちの存在そのものにあったのだ。この矢を抜く以外に苦しみからの脱出はない。」

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長泉寺では、毎年お盆が過ぎたころに、この「施餓鬼(せがき)法要」を近県の何処か(毎年どこに行くか悩んでいます・・・)にて行います。もちろん、各ご家庭における今は亡き方のご供養の為でもありますが、「施・餓鬼」ですから、餓鬼供養が主です。

餓鬼とは、輪廻を繰り返す「六道世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)」の下から二番目の世界に生きる者たち。「六道輪廻(ろくどうりんね)」というと、なんだか難しく聞こえますね。そこでわかりやすく解説。

地獄・・・生きていくのが辛い世界。もう死んだ方がマシだという世界。

餓鬼・・・飢え苦しみの世界。貧。飢餓。

畜生・・・人間ではない世界。人間として認めない世界。人権のない世界。差別の世界。

修羅・・・争いの世界。戦いの世界。けんか。略奪。戦争。

人間・・・生・老・病・死の苦しみ。渇愛、恨み、挫折、身体的・精神的障害などの苦しみが付きまとう世界。

天・・・なんでも欲しい物が手に入る世界。欲望が満たされる世界。

できれば天に生まれ変わりたい!と思いますが、仏教で言えば天もまた輪廻の世界。つまり迷いの世界です。

今、世界を見渡してみると、まさにこの「六道輪廻」そのものです。

多くの自死者。経済格差による貧困。種々の差別(人種・性・民族など)。戦争。執着。欲望。

こういう世界は、「負の連鎖」を繰り返します。

例えば、アメリカが過去に行ってきた搾取と略奪。それに怒りを禁じ得なかったイスラム諸国の貧困層。そして、9.11同時多発テロという「怒りの爆発」が発生(決して「9.11」を肯定しているわけではありません)。世界一の武装国家であるアメリカが本土攻撃されたわけですから、国家武力を高めれば平和になるということのウソがわかったわけです。さらに、それへの報復としてのイラク戦争に突入していきます。これ以上の連鎖は続いて欲しくないと願いますが、止めることはそう簡単ではありません。最近ではシリアへ軍事介入するなどというニュースがありましたね。残念でなりません。

アメリカでは、国家資本90%を1%の人々が持っていると言われています。お金持ちになることが悪いわけではありませんが、その1%の人々がいる半面、世界の約8分の1の方は餓死寸前の状況。その「怒り」はこれからどこへ向かうでしょう・・・。

負の連鎖。

これを「輪廻」と呼ぶのです。

 

さて、大事なことは、わたしたち自身が六道の中のどの世界にいるかを自覚し、この六道からの解脱を目指すこと。輪廻する価値観を捨て、仏の境地を目指すこと。 

わたしたちは仏様を拝みながら、自己と世界の在り様を冷静に見つめ、分析し、問題を知り、その解決のために努力をしないといけません。これはお釈迦様の説かれる「四諦(したい)」に学ぶところです。

「偽善」と呼ばれることもあるでしょう。でも何もしないよりはマシですよ。

 

「施餓鬼」とは、今は亡き方が我々に託した願いに触れ、今生きる我々がどう生きるべきか、しっかりと学び、そして明日をより良く生きていく。きっとそういう意味だと思います。

最後に、参加者みんなで仏教詩人・坂村真民記念館を訪問したこともあり、真民さんの言葉を転載します。

 

『あとから来る者のために』

あとから来る者のために

田畑を耕し

種を用意しておくのだ

山を

川を

海を

きれいにしておくのだ

ああ

あとから来る者のために

苦労をし

我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる

なにかをしてゆくのだ

―― 坂村真民

 

以上、

合掌

龍門 拝

第14回「平和の鐘を鳴らそう!」

8月15日、岡山ユネスコ協会主催による「平和の鐘を鳴らそう!」が当山で開催されました。

まず、ユネスコが提唱し国連で採択された「わたしの平和宣言」を、環太平洋大学の中岡さんが朗読し、参加者全員で復唱。

1、「すべての人の生命を大切にします」

2、「どんな暴力も許しません」

3、「思いやりの心を持ち、助け合います」

4、「相手の立場に立って考えます」

5、「かけがえのない地球環境を守ります」

6、「みんなで力を合わせます」

正午を迎え、私たち僧侶が「般若心経」を読誦する中、みんなで鐘を鳴らし、すべての戦争犠牲者を追悼するとともに、平和への願いを響かせました。

その後、会場を本堂に移し、広島平和文化センター被爆証言者・岡田恵美子さんに、ご自身の被爆体験、戦争の悲惨さ、核の無い未来への想いなど、大切なお話をいただきました。

個人的に特に印象的だったことは、「広島ってヤクザ映画が有名でしょう?なんでだと思う?」という私達への問いかけでした。

「広島に原爆が落ちた後、本当に多くの戦争孤児が生まれ、彼らは親のいない中、辛い環境で、勉強もできず、それでも必死に生きた。そして、闇の世界へと足を踏み入れていったの。」

 

胸が締め付けられる思いがしました。

何気なく過ぎていく毎日。それがどんなに幸せなことであるか。

戦争は、戦闘終結ですべてが解決するような簡単なものではない。未来に無量の代償を残し、それは取り返しがつかない。

今、日本を戦争のできる国に変えようとしている政府に対して、私たちはしっかり言葉を発し、行動を取っていかなくてはいけません。9条改憲、拡大解釈、絶対に許してはならない。

 

最後に、3.11福島第一原発事故により埼玉県から岡山へ母子避難されている蛯名宇摩さんの津軽三味線演奏。

本当に力強く、素敵な演奏で、迫力満点でした。また、娘さんも一生懸命合いの手を入れたり、太鼓をたたいたり、とても可愛らしい!

早くお父さんと一緒に暮らせる日が来ますように・・・。

 

また、商業電源(一般電源)と、自給電源(自家発電)の電気とでは、音の質が違う!という実験も行われ、みんなで違いを聞き比べました。

と、いうのも、この日の音響電源は、福島県川内村から岡山へ避難されている大塚尚幹さんによるソーラーエネルギーシステムで、とってもクリーンな音だったのでした。

大塚尚幹さんは自エネ組(自給eネルギーチーム)の備前代表、子ども未来・愛ネットワークの副代表でもあります。

学び多き、祈りの一日。

 

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」

とは、広島平和公園慰霊碑に刻まれている言葉です。

過去に学ばないものは未来を築けません。

私達は今一度、過去の深い反省に立ち返ることが必要です。

かの大戦で亡くなられた無数の方々の無念たる想いに心を寄せ、また、3.11東日本大震災および福島原発事故により今なお苦しみを抱える方々の声に耳を傾け、我々は一体どう生きたら良いのか、しっかりと考えなくてはいけません。

「こんな素敵な世界を作ってきてくれてありがとう」

と、子ども達に言われるように、未来に責任を持って、日々頑張っていきたい、と思います。